昭和9年は、奇妙な年であった。実業家の村山清八氏が、諏訪公園に誓の御柱と市民壇を寄贈した年だ。日本は不況脱出の手立てとして満州国を設立した。満州事変(昭和6年)・上海事件(昭和7年)と続いた戦火も一旦はおさまり、国民にとってはまことに穏やかともみえる年であった。鉄鋼や石炭など軍需産業の活発化で景気は右肩上がりとなり、石炭業をも営む村山肥料店は、市議会議員となって市の紋章を配した市民壇を諏訪公園に寄贈した。儲かっていたのだ。もっと儲ける為には、満州国の発展が必要不可欠だったのだ。
一時的な好況に沸く昭和9年こそ、映画『K-20』の架空の世界と太平洋戦争へ突入していく現実世界との分岐点になったのだ。遠藤平吉は怪人二十面相に戦いを挑むため、帝都 東京の前に立った。折しも、二十面相の時空移動機が飛行、チャラ助主水の丞は遠藤平吉の様子を偵察に出てきている。