昭和11年開催の“国産振興大博覧会”で、外人によるアトラクションが好評だったように“昭和27年の“講和記念大博覧会”も、野外ステージに力を入れていた。
正門前に立ったとき、中空にそびえた中央塔の半ばに渦巻く赤色ネオンを設けた絢爛な風車を付けた高層建築と完全放送設備を兼ねた建物こそは本博覧会圧巻の大豪華版、アトラクションの殿堂、野外劇場のそれである。
さて、やや大げさな呼び込みに、どんなステージが繰り広げられたのか。
野外劇場の専属東宝ダンシングチームは、はるばる東京から招かれた当博覧会の大きなサービスの一つであった。1日3回の出演は、その斬新なダンスとストリップ的なチャーミングの姿態は観客の興味をそそり、時に観客をして陶酔の佳境に導くのであった。・・・とは、随分な言い方である。
歌手は、近江俊郎、東海林太郎、鶴田六郎、淡谷のり子、奈良光枝、三条町子。落語では、柳亭痴楽、柳谷三亀松、渡辺はま子が出演。また、『二十の扉』の放送メンバーも揃っての出演となった。そしてなんと、吉田 茂総裁がゲストとして来四している。また郷土色豊かな、佐渡おけさ、伊勢音頭、尾鷲おどりも披露された。
また、農機具に対する生産の歓びと感謝を捧げるため、“農機具祭”が開かれ、古式による神舞はじつに神代を偲ばせその風雅な情緒は見る人を楽しませた。今回の“農機具祭”と称する儀式は全国初であり、宿谷会長は、毎年4月2日を全国的に“農機具祭の日”の実施を希望したであろう。残念ながら一回こっきりだった。
その他、四日市可祝連や富田芸妓による舞踊、名古屋島田バレー団による演出等観客の人々には好評であった。ただし、さすがの盛況も雨天の日は利用できず、迎賓館に充てられた公会堂での諸行事が行われたのである。公会堂が迎賓館を兼ねていた、ということでしょうか?