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市井からの眺め73関西鉄道③

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話は江戸末期にさかのぼる。嘉永7年1月、2度目のペリー浦賀へ来日の際には機関車の長さ2メーター42センチという大きな模型を持って来た。これを横浜応接所の裏庭に円形のレールを施設して走らせた。「火発して機活き、筒、煙を噴き、輪、皆転じ、迅速飛ぶが如く」幕府役人たちは蒸気機関車にはよほど驚いたらしく、汽車を見るために皆さまざまな理由を設けては、裏庭に集まったという。

大隈重信

しかし、政治の場面では、西洋技術文明と、文明から生みだされた帝国主義を恐れていたが、技術そのものに対しては食いつくほどの好奇心を発揮していた。すぐさま蒸気機関車の模型を作ろうとし、佐賀藩をはじめ、薩摩藩、加賀藩、福岡藩が悉く完成させてしまっている。

明治34年の湊町駅

ただ、日本人は幕府二百数十年の間に、西洋では産業革命が起き、蒸気機関車が発明され、産業社会の総合力として鉄道が出現し、経済原則によって運営されていること、競争と独占とのあざとい歴史が鉄道の上を覆っていることの、理解が及ぶものではなかった。やがて世界の情勢を知るに至り大隈重信は帝国鉄道協会の席でこう述べている。「全国の人心を統一するには、運輸交通の不便を打砕くことが必要であるから、鉄道を起こすことが一番良いということを企てましたのでございます」。かくして、統一国家を目指す政府にとって、帝国大学工科大学を卒業した島安次郎のような人材は引く手あまたであったに違いない。

明治34年の湊町

 

「それにしても、車内が暗い」湊町が近づくにつれ、列車内はランプ灯の明かりだけで暗闇に包まれていく。「関西鉄道が明るい車内にすれば、官営鉄道に勝つことができる」島安次郎は、日本で初のピンチ式瓦斯灯導入を決めていた。

 


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