維新後30年、日本人にとってまだまだカタカナにはなじみがなかった。ナスミス・ウイルソン社製といわれても、むつかしいものだと思っていたに違いない。そこで日本名を付ける。関西鉄道にはなかなか趣味人が多い。「池月」「雷」「駒月」「小鷹」「友鶴」「隼(はやぶさ)」「鵯(ひよどり)」「千早」「春日」「三笠」「飛龍」「鬼鹿毛(おにかげ)」「雷光」「早風」「追風」。
磨墨
島汽車課長は、四日市工場で1台の機関車を徹底的に分解し研究した。動輪の大きさを少しでも大きくすれば速度を上げることができる。『早風』の動輪は5フィート(1524ミリ)だったが、わずかに2インチ(1575ミリに)あげた。わずか51ミリ大きくしただけで、換算しても3.2キロ速度が上がるだけだ。但し、この差は長距離になると大きかった。『早風』の動輪を日本一にする。一介の若き技術者にとって、社会を動かす大きな要素の一つを握りしめたという感慨を持つことに通じるといって過言ではなかった。『早風』の容姿は野性的な強さと、スマートさが合成された機能美にあふれていた。
早風
※ 下総人さんからメールをいただいた。
湊町駅の構内図で、掘割と貨物ホームの間にスロープ状の石組と思われるスペースが見られますね。荷物の積み替えはどのようにして行ったのでしょうね。
四日市驛でもスロープのあった記憶があります。昨年5月、四日市のタイムスリップツアーで旧関西堀のあたりも散策しました。堀は埋め立てられており、操作場の線路が延長されていました。嘗ての貨物ホームの対岸にあたるカーブした道路はかろうじて面影をとどめており、堀に沿って設けられていた、低いコンクリートの安全塀がそのまま残っていました。
この辺ですかね?斜めのホームは。