昭和43年当時の熊澤製油
下総人さんが幼少のころ住んでいた昌栄町の近くに、古い建物があるということで出かけた。
建物は大正3年に出来た熊沢製油本社である。煉瓦積みの上からセメントを塗った当時としては流行の建て方で、頑丈で空襲にも耐え、今日に残されている。2階建てでこじんまりしているが、大正時代の風格を今にとどめている。
熊沢製油の歴史は古い。
熊沢製油産業は、文政9年(1826)熊沢家が古くからエゴマの産地の現・一宮市に諸油問屋一川屋として個人創業された。明治初年までは東海地方周辺の綿実油、菜種油を中心に原油を加工、明治18年関東地方に出荷した。
明治39年3月に熊澤製油場(個人)も四日市に開設、新式水圧式搾油機を開発して量産化を図った。大正7年3月新たに熊沢製油(資)を設立、昭和17年3月改組して熊沢製油㈱を設立、同年ドイツのクルップ社製連続自動搾油機(エキスペラー)を輸入するとともに、改良搾油機を製作してわが国新式エキスペラーの先駆けとなった。どうやら熊澤一衛氏とは直接の関係はなさそうだ。
戦後の昭和天皇全国行幸の折には、熊沢製油と石原産業を視察されている。昭和43年7月味の素の傘下に入り熊沢製油産業㈱と改称、現在は味の素製品の受託加工を行っている。
現在、この熊澤製油本社は、味の素と熊澤製油が出資した㈱J-オイルミルズが「国際資源活用協会」を立ち上げて運営されている。
昨今は沙汰止みとなっているが、廃油で石鹸を作る教室などのエコ事業に取り組んでおり、愛・地球博や、四日市博物館、エキサイト四日市・バザールにも出展されたことがあるそうだ。館内を見るとタコ焼きやたい焼き、焼きそばの器具が並んでいた。コロナ禍の影響で、さっぱり出番もないとのこと、ここへは月数度、年配の方々が出勤している。この建物も維持が大変で、やがて壊される運命にあると話してみえた。