昭和22年11月2日付の伊勢新聞に、“第1回 四日市復興まつり”(11月1日~3日)開催の記事が載っていた。昭和22年は、戦争の災禍からようやく立ち直りを見せて、前途に明るい光が見え始めた頃である。コロナ禍に苦しむ現在であるが、近日中には“現代版 復興祭”の訪れる日はやってくる。
前田憲司氏著「四日市祭」より
『神輿にどよめく群衆 四日市復興まつりの幕開く』
樽の神輿に野菊が揺れて 澄んだ碧空に煙火が響く 爆発する12万市民の歓喜の中に 四日市復興まつりは11月1日華やかに開催された。名物の大名行列、鯨舟をはじめ、山車、神輿、屋台、はやしなど思い思いの趣向を凝らしてどっと繰り出し、一方諏訪公園では呼び物の夕刊三重主催 ミス四日市発表会が人気を沸かせ、この日街は10万近い人出を見せた。日曜日は明治節と休日が続く2,3両日に賑わいはさらに素晴らしいものと予想され、お祭り気分はいよいよ高まって郷土復興への新しいスタートを切った。港都は興奮と祝賀の一色に塗りつぶされている。
《盛大な四日市戦災死没者追弔会》伊勢新聞主催、四日市復興まつり委員会協賛の戦災死没者追弔会は、1日午前9時から、浜田東漸寺で盛大に執行、四日市仏教会の僧侶参列、堂を震わす読経の中に遺族及び民間代表、一般市民の焼香が続き、一昨年夏業火の犠牲になって死没した八百余名の霊に対しその冥福を祈ると共に郷土の復興促進を誓った。
『全市民歓喜に沸く 四日市復興まつり最高潮』
爆発する歓喜のなかに第2日を迎えた四日市復興まつりは、前日に劣らぬ素晴らしい人出をみせ、色とりどりの山車や練り物が街の人気を沸かせたが、各所で開かれた展覧会、芸能大会、スポーツ大会などいずれも超満員。午後は諏訪公園で呼び物の本社主催仮装コンクールが爆笑を巻き起こし、進駐軍のジープも人波にもまれるなど、市内は未曽有の雑踏ぶり。夜に入ると共に街は明るい灯の海と化し、華やかな鐘と太鼓が更ける夜空に谺(こだま)して お祭り気分はいよいよ高まった。この日の人出は遂に諏訪神社大祭当日の記録を破って20万人近くといわれ、戦前に劣らぬ凄い賑わいぶりを呈した。
仮装コンクール
“目で見る四日市の100年”では、22年の11月には市市営50周年記念事業として「復興祭り」が開催され、バラックに街並みに大名行列やくじら船などが繰出した。集まった10万人近い市民は、久しぶりの祭り気分を味わうと同時に、復興へ向けて本格的なスタートを切ったのである。とあった。大入道の気配がないのは いまだに阿倉川に疎開中だったのか?