富田浜海岸(ガイドマップの上、中央)に『聖武天皇御旧跡』とあり、
シャワーの上にも聖武天皇が立っていた。
そして、垂坂山の山頂にも『天武天皇神宮御遥拝所』の碑が立っていた写真がある。
富田の思い出の写真より“垂坂山”
出かけたときは、残念ながら見つけることができなかった。
Webで調べると大矢知にあった。後ろに小高い山はあるが、なんでもない場所である。ただここの地名が“斎宮”と訳有り地名である。
県指定記念物 史跡 天武天皇迹太川御遥拝所跡(てんむてんのうとおがわごようはいしょあと) 昭和16年5月21日指定
壬申の年(672年)、奈良県吉野に隠棲していた大海人皇子(おおあまのみこ・ 後の天武天皇)は、近江朝廷と皇位の継承をめぐって、兵をあげました。世にいう壬申の乱です。
吉野から名張、鈴鹿、伊勢へと進んできた大海人皇子は、朝明郡迹太川(あさけぐんとおがわ)の近辺で、伊勢神宮を遥拝し、戦勝を祈ったということが「日本書紀」に記されています。
この地が遥拝所の推定地として指定されたのは、「天武天皇のろしの松」と伝承されている老松があったことによります。
樹齢500年を超えたこの松は、今も指定地のシンボルとして市民に親しまれています。 平成11年3月31日 四日市教育委員会
ところが、平成20年にはこう書き換えられていました。
付記:「のろしの松」は、平成14年に枯死したので、管理者の大矢知斎宮自治会が、平成18年に槙を植樹されました。
平成20年3月31日 四日市教育委員会
垂坂山の碑を移設したわけでもなさそうだ。文字が違う。見つけられなかっただけだろうか。
天武天皇さんは、富田浜、垂坂山、大矢知とかなり徘徊されたご様子だ。