さて、手抜き工事で聖武天皇について調べさせていただきました。
聖武天皇(しょうむてんのう)は、日本の第45代天皇(在位:724年-―749年。文武天皇の第一皇子として生まれ、24歳のときに元正天皇より皇位を譲られて即位することになる。
聖武天皇の治世の初期は、皇親勢力を代表する長屋王が政権を担当していた。ところが729年に長屋王の変が起きた。この変は、長屋王を取り除き光明子を皇后にするために、不比等の息子で光明子の異母兄である藤原四兄弟が仕組んだものといわれている。
天平9年(737年)に天然痘の大流行が起こり、藤原四兄弟を始めとする政府高官のほとんどが病死するという惨事に見舞われ、急遽、長屋王の実弟である鈴鹿王を知太政官事に任じて辛うじて政府の体裁を整える。さらに、740年には藤原広嗣の乱が起こっている。乱の最中に、突然関東(伊勢国、美濃国)への行幸を始め、平城京に戻らないまま恭仁京へ遷都を行う。その後、約5年間の間に目まぐるしく行われた遷都(平城京から恭仁京、難波京、紫香楽京を経て平城京に戻る)の経過は、『続日本紀』で多くが触れられていて彷徨五年と呼ばれている。
天平年間は災害や疫病(天然痘)が多発したため、聖武天皇は仏教に深く帰依し、741年には国分寺建立の詔を、743年には東大寺盧舎那仏像の造立の詔を出している。
752年、東大寺大仏の開眼法要を行う。天平勝宝6年(754年)には唐僧・鑑真が来日し、皇后や天皇とともに会っている。
ウィキペディアより
彷徨五年、徘徊癖は聖武天皇のようでした。富田浜に、現在でも碑は残っているのでしょうか?調べてみる必要がありそうです。さて、時代はさかのぼります。天武天皇登場、壬申の乱でゴザイマス。
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