前田憲司先生の登場でございます。前田さんにお聞きしたところ「詳しく存じず、スミマセン」ということでしたが、きちんとお答えをいただきました(実はこの人、詳しいんです)。
天武天皇の迹太川遥拝の碑ですか?遠保神社(「とお」と読むつながり)で、そのあたりを流れる川の上流ということで、垂坂を遥拝所とする説があったんですよね?それで建てたけど、迹太川が特定されなくなった。
垂坂山の碑は、自信がなくなって撤去されたんでしょうか?
富田浜は碑というか、噴水の上に乗ってたのですかね?
記念の碑というよりも、モニュメントだったんでしょうか?天武天皇が富田浜あたりをうろついた痕跡は、何かに残っていたんでしょうか?昭和の初めですから、天皇をあがめる傾向は強かったんですね。海水浴をしていても、天皇さんのありがたさを忘れてはいけないよ、とかなんとか。 前田様、ありがとうございました。