「知られざる 四日市の面影」四日市市立博物館刊より
四日市十二景 水谷百碩画 “午起之綱引”
現在、第二コンビナートが立ち並ぶ午起は、昭和30年頃までは海水浴場として親しまれていました。この絵は漁師が地引網をしているところで、画面右上には白い灯台と稲場町から伸びる四日市の防波堤が描かれています。網を引く人の外に、手に網を持った赤ちゃんを背負った女性や子供の姿が見えます。
泗水十二景 出口對石画 “馬越(うまおこし)の青嵐”
馬越(午起のこと)の田植えが終わったばかりの水田から東の方向を描いています。水田の先、土塁の向こうには見えていませんが砂浜があり、その先に伊勢湾が広がっています。稲の苗と松原の緑と伊勢湾の青、海上の白い帆をはらませた船、わきたつ入道雲に初夏の風情が感じられます。埋め立てられるまでは白砂青松の美しい海水浴場としても有名でした。
“四日市市の今昔”樹林舎刊より
三岐鉄道は昭和27年12月から30年10月まで、国鉄関西本線~富田四日市間の直通乗り入れ運転を行い、富田浜~四日市間に三岐鉄道の列車のみ停車する三岐鉄道午起停留場を開設した。昭和36年11月には関西本線東側に並行して三岐鉄道四日市新線工事が始まったが、開業することなく昭和43年12月に廃された。現在、関西本線がここを利用して複線化されている。午起駅は跡形もない。
遥か右(東方向)に松並木が見える
追記:前回ご紹介した午起バス停の二階家の航空写真がありました。ちょうど中央の角がバス停前の食堂でゴザイマス
2012年11月13日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)
この後、南北に新しく名四国道ができます。右上に並ぶのが午起3丁目の住宅。名四国道が出来て不便になり、現在はすっかり姿を消しました。