Quantcast
Channel: 花の四日市スワマエ商店街
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2336

四日市湊物語㉓ 稲葉翁伝 其の七

$
0
0

四日市の湊へ

稲葉三右衛門は、幼名を九十郎と云い、美濃高須の旧家 吉田詠甫の六男として天保8年9月21日産声を上げた。詠甫は、商才に優れていたので、常に揖斐川を川舩で上下して桑名・四日市と往来して取引をしていた。

十里の渡し

嘉永3年3月下旬(旧暦)、肥料のニシン粕を仕入れるため30俵の米を積んで、14歳になった九十郎を伴い四日市へと向かった。多度山を中心とする連山は薄霞の中にボンヤリ浮かんでおり、揖斐川の両岸は、生い茂る葦の若芽を通して目路行く限り、菜種の花が一面に黄金の波を漂わせていた。

天保時代の四日市

揖斐川河口の住吉河岸に舩を繋いだ。ここで荷を積みかえ、伊勢湾内を航行する船で四日市へ向かう予定だったが、あいにく船は出払っていて、次の船までは2~3日待たねばならなかった。そこで九十郎はこの舩で四日市まで行けるのではと提案した。重い荷を積んで、横波を食らえば転覆しそうな舩だが、海は油を流したようで、波ひとつなかった。

「そりゃそうだが、どうじゃ与平、冒険やが一つ海へ乗り出してみるか」詠甫は、船頭の与平に云った。「負うた子に教えられて浅瀬を渡るタトエもある、九十郎の云う通り、一つやって見るか」舩は赤須賀浦に沿って、町屋川へ乗り出した。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2336

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>