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稲葉翁伝㉓ 判決

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明治9年の伊勢暴動を機に、岩村参事は“民意の赴くところを察し、庶心改革に志し、築港工事をも中止してしまった”と、『郷土秘史 港の出来るまで』にあった。少しビビったのだろう。

雪の開栄橋(明治30年頃)四日市の100年より

さて、大阪高等裁判所に提訴した原告 稲葉三右衛門、被告 三重県令岩村定高の件は、十数回の口頭弁論が行われるに至ったが、原告の稲葉三右衛門は『埋め立て工事が仕上がった部分から官に買い上げてもらって資金にしたい』という主張に対して、県は『工事がすべて完成しない限り一部の利用は許されない』との対立に終始した。要は、企業本位の個人事業と、杓子定規の官府行政とを、裁判所がどう判断するかにあった。

明治11年6月4日、結審が出た、原告側 稲葉三右衛門の敗訴となったのだ。今回の築港事業は共同事業であるにもかかわらず、工事途中にして、原告が権利の独占を主張するのはおかしい、という判決であった。(この辺り文章が難解でうまく説明できません。申し訳ない)

当初は知らんふりをしていた県は、築港事業の進捗状況と回船会社からの陳情で、取り組むことになった。初めから個人では無理と踏んでいた岩村は、資金面で難航する三右衛門の築港工事を県で引き継げないかと考えるようになった。と、こういう事ではないでしょうか?

稲葉三右衛門翁

「上等裁判所ともあろうものが、碌な審理もせずに、あんたと県庁の共同事業だなんて。どう勘違いをしたんでしょう。」稲葉家の奥座敷、客は三菱汽船の初代支店長 大井水哉は興奮して言った。こうなれば政治家に頼むしかない、という結論で、再び上京の運びとなった。  つづく


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