“江戸の間取り”安藤優一郎著 彩図社刊 による品川宿本陣の間取りです。
四日市宿 清水本陣の坪数が248坪で、品川本陣は140坪と比較的狭いのは、都市と田舎の違いからでしょうか。部屋数も少ないようです。清水本陣の駕籠や長持ち(荷物入れ)を置く“荷揚場(にあげば)”は何処にあるのか見てみますと、右下角の処に“入口”があって“間板”と記してありますが、おそらくここへ荷物を置いたのではないでしょうか?その上の台所も広くとってあります。
大名行列の“先乗り”として、まず最低でも2~3日前には宿割役人が到着します。本隊より先に到着して宿泊の準備をするわけです。宿割を行い、各旅籠には宿泊者の名前を書いた“宿札”(彩図社の本では“関札”とあります)を掲げ、宿場が静かで問題は無いか注意します。そして、災害の折の避難経路や間取りを書いてある図面(宿並図)を受け取り、警護の配置や宿割りを行います。準備周到です。文化元年(1804)3月3日、松平土佐守は37名、4月12日、内藤甲斐守は24名、森和泉守は24名が清水本陣に宿泊しています。数名の者が本陣警護にあったったのでしょう。
宿割役人は、分宿者全体の料金の交渉も役目でした。正徳元年(1711)旅籠銭の公定基準が決められていました。1人35文、召使17文、馬35文でした。馬も人並みです。今のお金に換算するとどれくらいだったのでしょうか? つづく
追記:スワマエ通りに“よっかいち散歩マップ”の掲示が、終わりました。興味のある方はお立ち寄りください。