2006年3月17日のブログにも、“ナンバ走り”のことは書いていました。下総人さんに発見いただきました。感謝です。
走る! - 花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)
この時初めて総務部長さんに“ナンバ走り”のことを教えていただきました。幕末から明治初期になり、初めて行進の仕方を学んだ日本人。当時は無理やり教え込まされて困惑した人も多かったことと想像できます。
広重の東海道53次から“宮(熱田神事)”の絵です。5月5日は「端午の走り馬」に神事が開かれ、各村々から荒薦を巻いた馬を走らせて熱田神宮に奉納されました。有松絞りの半纏を着た男たちが“俄馬(にわかうま)”と一緒に駆け抜けます。
この時の先頭の男ですが、体の右側全体に力が入っているようです。右腕を出すと脚はどっちかな?なんて意識しなかったんだと思います。自然体です。
下の写真は“勧進帳”の一場面です。
左が武蔵坊弁慶(松本幸四郎)。“摺り足”で富樫(中村吉右衛門)に寄ります。そういえば鬼平の吉右衛門さんは先日お亡くなりになられましたね。右側の富樫は正装しています。長い袴は、忠臣蔵でもおなじみで、これは儀式の際に暴走を防ぐためだったのでしょうか。“走る”行為とは無縁の世界でした。
そう意識して山田洋二監督の“たそがれ清兵衛”を観ました。真田広之の清兵衛が、下男の神戸浩を連れ立って家に帰るところで、少し手が振れていました。足の動きとは反対の方向に・・・。沁みついた習性は出てしまいます。実際は、手足を同時に出して歩いたか?・・・それは無かったと思います。
ここまでくると、手足を逆に動かす方が不自然に思えてきました。あ、音を立てて歩く話を忘れていました。 つづく