明治初期に来日した西洋人は、日本人の多くが音を立てて歩くと記録に残しています。ツュンペリー氏は「草履にはかかとの部分がないので、歩くとスリッパのようにパタパタと音がする」。またスミス氏は「履物のかかとは留めていないので、石の歩道を歩くとき履物が上ったり、下ったりし、通りの人ごみの中を進むとき絶えずやかましい音を立てる」と書いています。
また小泉八雲(ハーン)氏は「日本の下駄は、それを履いて歩くと、左右わずかに違った音がする。片一方がクリンといえば、もう一方がクランと鳴る。だからその足音は、微妙に異なる二調子のこだまとなって響く。駅のあたりの舗装された道などでは、ことのほかよく響く。」さすがハーン氏、情緒があります。そして「日本人は、誰もみな、足のつま先で歩く。その足を前に踏み出す時には、必ずつま先から先に着く。これはむりもないことで、日本の下駄だと、かかとが下駄にも地面にもつかず、その上下駄の台が楔型をしているので、どうしても足が前のめりになるから、これ以外の動き方はない訳だ」と。つま先歩行は、履物に由来している。草履や下駄の鼻緒は、つっかけるようにして履くことで固定されます。
日本人の前傾姿勢での歩行も注目された特徴です。ゴンチャロフ氏は「日本人がまっすぐな姿勢で歩いたり、あるいは立ったりするのを一度も見かけなかった。必ず体を前にかがめて・・・」と記しています。つま先歩行と前傾姿勢は関連しているようです。
広重が描いた夕刻の“戸塚”宿。男がひらりと馬から降りる瞬間です。旅籠の女性がそれを迎えます。“こめや”の看板は実在した旅籠です。軒には歓迎の“○○講中”と書かれたが並びます。
旅籠の女性は下駄を履いていますね。客と馬は“わらじ”姿です。
五十三次を見ていると、旅姿が多いだけあって“わらじ”が殆どを占めています。 つづく