明治36年、東京の“浅草館”が、日本初の映画専門館として開業した頃、四日市に桟敷席の実演劇場“新地座”が出来ます(昭和35年1月)。地方に映画館が出来るのは後のことになります。大正10年10月1日になると新地座は、新興キネマ系の“弥生座”で出発、畳敷きとなります。昭和10年には“弥生館”となり、県内で映画館の老舗は伊勢の“世界館”とここだけでした。創業者の鈴木啓吉氏は、四日市の生まれ。戦後は県議会議員として活躍、県の興行環境衛生組合の初代理事長を務めています。
昭和20年の空襲を受けるも即再建し、昭和31年3月になると、新東宝上映の「ぼたん劇場」を併設。昭和51年には大改修しました。県下初の集中映写方式でシネコンの先駆けとなります。弥生館は、山口百恵の“風立ちぬ”、四日市スカラ座は三船敏郎の“ミッドウェイ”、ぼたん劇場は“特選各社映画”でオープンしました。ぼたん劇場は、その後“弥生館2”となります。しかし、時代の波には勝てず、平成9年2月28日“ニューシネマパラダイス”で劇場の幕を閉じました。
昭和40年代から映画界は下降線をたどり始めます。弥生館が大改修をした昭和51年、どんな作品が上映されているのでしょうか?
松竹唯一のドル箱、寅さんシリーズの“男はつらいよ 葛飾立志篇”と“男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け”で絶好調。東宝は、“続・人間革命”、“不毛地帯”、“犬神家の一族”。山口百恵の“絶唱”“エデンの海”“風立ちぬ”の3作品がヒット、文芸路線を確立しました。
東映は、トラック野郎シリーズの“トラック野郎・爆走一番星”と“トラック野郎・望郷一番星”、春と夏のまんがまつりは安定しています。キネマ旬報は、ヤクザ路線の低迷について、観客に飽きられたこと、広域暴力団壊滅運動の影響、社会が明るい映画を求めていることを理由に挙げています。
日活は、“嗚呼!!花の応援団”が大ヒット。昭和46年に幕を開けた、ロマンポルノは安定していましたが、今後の伸びが期待できない頭打ち状態のため、ポルノ一本やりから一般映画も混じえた配給に方針を転換しています。昭和63年になると、日活ロマンポルノも終焉を迎えます。
洋画では“ジョーズ”がヒット。上映権を得た中映では、座席を改装しています。他に私のお気に入り、ジャック・ニコルソンの“カッコーの巣の上で”“ミッドウェイ”
“オーメン”。“エマニエル婦人”のヒットに続く“続エマニエル婦人”が上映されています。ウィキペディアより