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昭和少年通信 その六 小松崎茂③

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下総人さんから“小松崎茂”さんに関するWebページを紹介いただきました。 ACC公益財団法人荒川区芸術文化振興財団様のページで、読売新聞記者である石田 汗太氏が小松崎さんの自宅を1996年に訪ねてみえました。

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千葉県柏市のご自宅を訪ねると、正子夫人が笑顔で出迎えてくれました。小松崎茂さんは、『地球SOS』『大平原児』などで、戦後の子供たちに夢を与え続けた絵物語の大御所。八十一歳という年齢を感じさせない張りのある声で、ふるさとを語ってくれました(2001年86歳で逝去されています)。大正四年、東京府南千住生まれ。

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「南千住は、田舎のような良さのある町でしたね。瓦屋根の木造家屋ばかりでね。大きな紡績工場があって、非常に庶民的な、職工と職人の町でした。貧しくても真面目な人が多かったね。子供にとっては天国のようなところだった」

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「浅草の観音様にお賽銭拾いに行って、お坊さんに追いかけられたり、ヒョウタン池で鯉を釣ったり、バッタはいるしトンボはいるし、銭がなくても十分遊べたんです。どこもかしこも木があって、自然が残っていました。それに比べて、今の子供はかわいそうだねえ」

大正12年、小学三年生の時、関東大震災にあう。「家で寝転がって、雑誌を読んでいたんです。すると、海鳴りのようなゴーツという音がして、ドカーンと突き上げてきた。家族みんなで家の心柱にしがみつきました。向かいの家は倒れましたが、うちは倒れなかったんです」

16歳で日本画家に弟子入りし、20代始めに新進挿絵画家としてデビュー。戦争中は徴用にとられ、谷中のアパートに居を移します。昭和20年3月10日夜。そのアパートから見えたのは、B29の来襲で炎に包まれる生まれ故郷の姿でした。東京大空襲です。「二階の窓から見ると、荒川区は一面、紅蓮の屏風みたいでね。とにかく飛び出して、三ノ輪の方に駆けてった。道の両側で炎が渦を巻いていて、『危ない』と止められたけれど、そこにあったモッコを防火用水にひたして、かぶって走り抜けたんです。常磐線のガードを抜けた途端、だーっと、焼け跡が真っ平らの荒野のようで……」ふるさととの悲しい別れでした。

やがて、漫画ブームの台頭で絵物語は急速に姿を消しますが、代わって口絵やプラモデルの箱絵などの仕事が来るようになり、シャープで緻密なタッチの「小松崎メカ」は昭和五十年ごろまで、息長く愛され続けました。

小松崎さんの戦前の作品“機械化”の復刻版が紹介されています。ページ右下の動画をご覧ください。

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白鳥翔さんのコレクション 昭和少年は ワクワクします

「小松崎茂」のアイデア 86 件 | レトロフューチャー, 小松崎, レトロ (pinterest.jp)

ディリィニュウスエイジェンシィさんのホームページ 小松崎茂のボックスアート

空想科学イラストの旗手、小松崎茂のボックスアート作品いろいろ - DNA(dailynewsagency.com)


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