昭和少年通信 その一 21世紀
21世紀。この言葉のなかに、科学万能の未来世界を夢見た時代がありました。 昭和30年代に発行された多くの少年少女雑誌。その中には、地球と宇宙に展開するさまざまな乗り物やロボット、宇宙からの侵略者や怪獣に立ち向かう科学兵器やスーパーヒーローなど、来るべき科学の発達した時代、21世紀を夢見て、ぼくたちは胸躍らせたものでした。 2061年の東京 伊藤展安/画・福島正美/案...
View Article昭和少年通信 その二 21世紀②
“南極の氷もとかす うかぶ大宇宙鏡”伊藤展安/画『少年』昭和34年8月号 いつも太陽にむけられた大きな鏡で集めた太陽の熱は、さらに二つの鏡を通して強められ、地球におくられます。南極の氷を溶かして港を造ることも可能です。 ◆ノーコメント とんでもない話です(老人の独り言) “でっかい夢の 海底ランド”小松崎茂/画『ぼくら』昭和39年10月号...
View Article昭和少年通信 その三 21世紀③
“原子紀元30年の戦争”小松崎茂/画『冒険王』昭和34年6月号 昭和20年8月6日、広島に世界最初の原子爆弾が投下された。地球はこの年を原子紀元元年として生まれ変わったのだ。それから30年、1974年に第3次世界大戦が起こるとすれば、まずスパイ衛星による水爆ミサイルのうちあいで火ぶたがきられ、おそるべき科学戦がてんかいされるであろう・・・。...
View Article昭和少年通信 その四 小松崎茂①
小松崎茂氏は、戦前に“機械化”という国防科学雑誌で、表紙や口絵に空想科学兵器を描いている。また、“未来の新案兵器”シリーズには解説も手掛けていた。昭和30年代になると、宇宙開発ものでは、想像力に満ちた迫力ある宇宙探検図や宇宙ロケットを描き、当時の子供たちの目をくぎ付けにした。...
View Article昭和少年通信 その五 小松崎茂②
小松崎茂氏は“少年マガジン”昭和43年12月20日号の、特集“世界大終末”の中で、未来の地球への警告画を描いている。 『水中幽霊都市』...
View Article昭和少年通信 その六 小松崎茂③
下総人さんから“小松崎茂”さんに関するWebページを紹介いただきました。 ACC公益財団法人荒川区芸術文化振興財団様のページで、読売新聞記者である石田 汗太氏が小松崎さんの自宅を1996年に訪ねてみえました。 サンダーバード勢ぞろい サインは健在...
View Article昭和少年通信 7 漫画文化 ①
マンガとともに育ってきた我々“団塊の世代”。この、マンガの歴史を“日本の漫画本300年”清水勲・猪俣紀子[著]ミネルヴァ書房から、昭和30年代を主に、取り出してみます。 戦後の漫画の歴史は、 視覚的表現を表現して漫画界に革命をもたらした手塚治虫の登場と、 手塚治虫 昭和30年代頃からの辰巳ヨシヒロらが貸本雑誌で作り上げた青年向けの劇画は、 辰巳ヨシヒロ...
View Article昭和少年通信 8 昭和30年の漫画界
横山光輝は昭和30年にデビューした。『音無しの剣』は、 『猿飛佐助』や『赤胴鈴之助』に連なる剣士もので、当時の少年向け雑誌では柔道、剣道マンガが流行していた。その一方、横山は雑誌「少女」に『白ゆり行進曲』を連載し、人気を博した。 児童マンガや劇画と一線を画する伝統的大人漫画の復興を目指し、前年の29年に「文芸春秋漫画賞」を設立、谷内六郎が選ばれ「週刊新潮」の表紙を飾る。...
View Article昭和少年通信 9 昭和31年の漫画界
昭和31年、辰巳ヨシヒロは日の丸文庫で『黒い吹雪』を発表、子供マンガの域を超えた「劇画」の登場である。 彼はその年、劇画短編集の「影」を発行、貸本業界に空前の短編ブームを起こした。 辰巳氏は、翌32年...
View Article閑話休題 模型飛行機づくり
懐かしい模型飛行機づくりの記事が掲載されていましたのでご紹介します。 「私の模型初体験は、学校の授業で作った飛行機模型です。昭和17年、小学2年生の夏でした。戦時中は文部省の指導で、戦艦や戦闘機の模型作りが含まれていました。学校教材が模型作りへの入り口だったのです。」田宮俊作著「田宮模型の仕事」文春文庫より 遊び道具の少ない時代だったので...
View Article閑話休題② 田宮模型と小松崎氏
プラスチック(合成樹脂)の誕生は、1990年代初頭でした。それまで木製模型を作っていた田宮模型も、プラモデルに移らざるを得なくなったのです。かくして、金型に大きな投資をして出来上がった第1号が“戦艦武蔵”でした。ところが価格で他社に差が付き、当時のお金で500万円の大赤字を出しました。 続いて、社運をかけて作った第2号が、金型が造りやすい...
View Article昭和少年通信 ⑩ 昭和32年の漫画界
昭和32年は、1月 宗谷が南極に接岸、2月 岸内閣成立、9月 日教組が「勤評反対!」の闘争を(キンピョウハンタイ!といって授業が自習になった記憶があります)、10月 ソ連の人工衛星打ち上げ成功の年であり、四日市では、9月14日から1週間、市制60周年記念行事が行われ、大協石油が浜町の東洋紡績跡地に竣工した年でありました。...
View Articleまたまた 閑話休題 大協石油のこと
下総人さんから、大協石油について ご指摘をいただきました。正確無比の情報を誇る(?)当ブログにおきましては 心強い指導者でゴザイマス。感謝! ところで 昨日のブログで 昭和32年に大協石油が浜町の東洋紡績跡地に竣工したと記しました。それでは昭和29年の大火災は何だったのか?あれはまぼろしか?否 四日市幼稚園の前から呆然と眺めていた真っ黒で大きな煙は何だったのか?そこで...
View Article昭和少年通信 ⑪ 昭和33年の漫画界
昭和33年2月に小さい体で若乃花が横綱になりました。栃若時代の到来です。8月、日清製粉がお湯を入れるだけのチキンラーメンを発売、インスタントラーメンの草分けとなりました。10月には長嶋茂雄が新人王となり、11月には、皇太子と正田美智子さんとの婚約が発表された年です。12月には初めて1万円札が発行されました。...
View Article昭和少年通信 ⑫ 昭和34年の漫画界
昭和34年3月、四日市では市民ホールと国鉄四日市駅の起工式が行われています。現在、市民ホール跡は、庁舎の駐車場になっていますが、JR四日市駅は変わりません。そして4月に御在所ロープウェイが開通、当時の女学生はガイド嬢になるのが人気だったと聞きました。今、ロープウェイ内では...
View Article昭和少年通信 ⑬ 昭和35年の漫画界
昭和35年は、安保闘争(5月)が起きて、国会を17万人のデモ隊が囲いました。7月には池田勇人内閣成立、10月は、浅沼社会党代議士が壇上で刺殺され、全国のテレビで衝撃的報道がされました。四日市は企業の進出や増設が...
View Article昭和少年通信 ⑭ 昭和36年の漫画界
昭和36年は、高花平団地着工の年でした。三重団地の上の高花平団地とあさけが丘団地は、四日市市の団地造成の幕開けでした。4月には堀木1丁目(湯の山街道沿い)に市立病院が完成しました。 市立病院は、昭和11年5月、国産振興大博覧会が開催されていた千歳町埋め立て地に市民病院としてできたのが始まりです。14年になると津田久三氏の寄贈で西新地に四日市市立病院が開設されます。...
View Article昭和少年通信 ⑮ 昭和37年の漫画界
昭和37年5月、南極観測船“宗谷”が四日市港へ入港しています。小学生は見学に行ったのでしょうか?(映画は観た気がします)中部中学校に入学したばかりの私は、見学の記憶がありません。“宗谷”が出来たのは昭和13年なのですね(耐氷型貨物船)。そして、昭和31年から37年まで南極へ行っています。 南極観測船「宗谷」│船の科学館公式、ホームページ (funenokagakukan.or.jp)...
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