プラスチック(合成樹脂)の誕生は、1990年代初頭でした。それまで木製模型を作っていた田宮模型も、プラモデルに移らざるを得なくなったのです。かくして、金型に大きな投資をして出来上がった第1号が“戦艦武蔵”でした。ところが価格で他社に差が付き、当時のお金で500万円の大赤字を出しました。
続いて、社運をかけて作った第2号が、金型が造りやすい 直線的な形のパンサー戦車でした。その箱のパッケージを、田宮俊作氏は、当時の売れっ子のイラストレーター 小松崎茂先生にお願いしようと手紙を書きました。掲載雑誌を見て思いついたぶっつけ依頼です。
なぜ小松崎先生に依頼する気持ちになったのか?事の経緯を書き連ねました。製材所の工場が火事で焼け落ち、借金をかかえ再開したこと、木製の模型屋として軌道に乗ってきたところにプラモデルの波が海外から押し寄せ、泣く泣く木工用の機械を処分したこと、やっとの思いで出したプラモデルが売れず、さらに借金がかさみ、ふたたび木製の模型屋にもどらざるを得なかったこと、・・・苦境の道のりを、何枚もの便せんに綿々とつづり、「先生の絵におすがりして、なんとかパンサー戦車を売りたいのです」と、懇願しました。
そして、1週間後、返事すらこないと思っていた小松崎先生から直々の電話がかかってきたのです。「田宮さんですか、小松崎です。私があなたの会社を救いましょう。」こうして、田宮氏は千葉県柏市にある小松崎邸を尋ね、絵の契約を結ぶことができました。小松崎茂氏による田宮模型パッケージ完成です。
小松崎茂 画
1272夜 『図説・小松崎茂ワールド』 根本圭助 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)
そして、