昭和32年は、1月 宗谷が南極に接岸、2月 岸内閣成立、9月 日教組が「勤評反対!」の闘争を(キンピョウハンタイ!といって授業が自習になった記憶があります)、10月 ソ連の人工衛星打ち上げ成功の年であり、四日市では、9月14日から1週間、市制60周年記念行事が行われ、大協石油が浜町の東洋紡績跡地に竣工した年でありました。
漫画界では、水木しげるが、紙芝居作家から漫画家へ転身、はじめて兎月書房から『ロケットマン』を出しました。東京に第2の月が現われ、宇宙生物に乗っ取られた博士が怪獣に変身、最後は水爆で葬られるというSF活劇でした。
貸本業界では「母恋もの」が流行っていたが、牧美也子は巧みなストーリー展開とデッサン力のすぐれた作品で登場しました。雑誌「少女」12月号には『白いバレエ靴』でデビューしている。
まんだらけオークションより「母恋ワルツ」の一部を見ることができます
東光堂/牧美也子「母恋ワルツ」 (mandarake.co.jp)
京都精華大学国際漫画研究センターのホームページより
牧 美也子 | 原画’プロジェクト | 京都精華大学国際マンガ研究センター (imrc.jp)
『赤胴鈴之助』は福井栄一(急死)から、武内つなよしが引き継いだ。必殺技“真空切り”を登場させた熱血武道漫画です。GHQの統制で禁止されていたチャンバラものが昭和26年の対日講和条約で解禁され、『赤胴鈴之助』もラジオ、映画、テレビで大ヒットしました。
水木しげると同じ、紙芝居作家から転身した白土三平も、巴出版から『こがらし剣士』でデビューを果たしています。のちの白土三平とは全く違った画風である。
貸本漫画界で“戦記物”が流行、ヒモトタロウは戦争のカッコよさをマンガで表現した。
これに対し水木しげるは後に、自分の戦争体験から『総員玉砕せよ!』などを発表し、戦争の悲惨さを訴えた。
昭和10年頃、日本製ミッキーマウスが次々と現れたが、トモブック社から「ディズニーブック」として『謎の河』が出版されている。
山川惣治は、戦前紙芝居で人気だった『少年王者』を絵物語バージョンで出版、ジャングルの孤児だった少年が“王者”と成長する物語で、当時の少年たちを勇気づけ熱狂させた。
(戦後一時期、当店の裏角に“白揚書房”があり、店内左奥の棚に並んでいた山川惣治の“ジャングルもの”を見て、絵の細かさと文字の多さに、これはムツカシイ!と感じたことがありました。)