下総人さんから、大協石油について ご指摘をいただきました。正確無比の情報を誇る(?)当ブログにおきましては 心強い指導者でゴザイマス。感謝!
ところで 昨日のブログで 昭和32年に大協石油が浜町の東洋紡績跡地に竣工したと記しました。それでは昭和29年の大火災は何だったのか?あれはまぼろしか?否 四日市幼稚園の前から呆然と眺めていた真っ黒で大きな煙は何だったのか?そこで 市制80周年発行の“四日市のあゆみ”とWeb“大協石油株式会社 沿革”を調べてみました。
昭和14年9月 新潟県下の製油業者8社が合同して新会社 大協石油株式会社を資本金125万円で設立 本社を東京に設立した
昭和16年 大協石油四日市製油所 大協町に設立。
昭和16年・太平洋戦争始まる
昭和18年7月 大協石油四日市製油所が完成
昭和26年9月 大協石油トッピング装置(原油を分類する装置)完成
昭和29年10月 大協石油の原油タンクが爆発し 大火災となる
昭和32年9月 大協石油陸上油槽所 浜町旧東洋紡跡地に竣工
大協石油四日市製油所は 戦後の産物かと思っておりました。古いですね。そして会社設立4年後に四日市に工場を竣工させています。大協石油(現 コスモ石油)にとっていかに重要な地だったのかが伺い知れます。爆発事故は残念でしたが 四日市の誇れる産業であります。
ということで昭和33年の漫画界は サボらせていただきました。