昭和34年3月、四日市では市民ホールと国鉄四日市駅の起工式が行われています。現在、市民ホール跡は、庁舎の駐車場になっていますが、JR四日市駅は変わりません。そして4月に御在所ロープウェイが開通、当時の女学生はガイド嬢になるのが人気だったと聞きました。今、ロープウェイ内では 案内の放送が流されています。8月、四日市港開港60周年記念事業として、商品祭りと七夕祭りが合体して“港まつり”が開催されました。現在でも“大四日市まつり”を始めるにあたり、JR四日市駅前に立つ稲葉三右衛門像の前では、献花式が行われています。そして、忘れてならないのは、9月に“伊勢湾台風”が東海地方を襲ったことです。
この年あたりから、少女マンガが次々と発表され独自の世界を繰り広げました。貸本業界では、赤松セツ子の単行本が出版され好評を博しました。『夢みる白鳥』若木書房、『青いひとみ』ひまわりブックなど
佐藤まさあきは、辰巳ヨシヒロやさいとう・たかおらと“劇画工房”を結成、ハードボイルド漫画で貸本業界の人気となります。しかし、暴力的であるとの理由で山梨県の貸本組合で不買運動がおこり、全国に波及しました。
「貸本劇画」と銘打った白土三平の『忍者武芸帖』は、様々な人物を登場させ、階級闘争を描き、青年たちの人気を得ました。動物や風景も写実的であり、現実性に近づいた漫画となっています。
山田えいじは、山田みどりの名前でも少女マンガに寄稿しており、当時の人気である不幸要素を盛り込んで描かれている。ディスコやチンピラが登場するなど、少し年齢層に高い設定が珍しい。
少年画報社から出された『スーパーマン』はテレビ放送で人気があり、「アメリカ ナショナル コミックス社」からの日本語翻訳作品である。
「週刊少年マガジン」は昭和34年3月26日、「週刊少年サンデー」が4月5日、共に30円で創刊されました。子供向け週刊誌時代の到来でしたが、月刊誌主流時代は、それから しばらくは続いていました。