昭和36年は、高花平団地着工の年でした。三重団地の上の高花平団地とあさけが丘団地は、四日市市の団地造成の幕開けでした。4月には堀木1丁目(湯の山街道沿い)に市立病院が完成しました。
市立病院は、昭和11年5月、国産振興大博覧会が開催されていた千歳町埋め立て地に市民病院としてできたのが始まりです。14年になると津田久三氏の寄贈で西新地に四日市市立病院が開設されます。
昭和20年6月、四日市空襲で焼失、一時、諏訪公園内の図書館に臨時開設しましたが、24年、西新地の現プラトンホテルに移り、26年には北側に結核病棟が完成しました。そして、昭和36年に堀木町に新しく竣工したのです。
四日市市立病院変遷史 - 花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)
それから、7月には八幡製鉄進出が、市議会で承認されていますが・・・。四日市港の貿易額が1000億円を超え、ロングビーチ市と姉妹都市提携がされた年でもありました。
話がそれました。漫画界では、横山隆一が「ひょうたんすずめ」に続いてつくられた長編アニメーションを本にしたのが『おとぎの世界旅行』です。集英社から出版されました。
「少年王者」の山川惣治が「産経新聞」に連載した『少年エース』全三巻で発売されていますが、これで完結しておらず昭和36年より「中日新聞」に『続少年エース』として再開しています。
ちばてつやは少女雑誌の「少女クラブ」で『リナ』を描いた。飛行機のパイロットである父と心優しい母のもとで、何不自由なく育ったリナだったが、父の失踪をきっかけに生活が一変する。ちばらしさともいえる、溌溂とした女の子の可愛さ健気さ、細やかな心情が表現された作品になっている。
子ども向け絵本の鈴木出版社から、蜂野剣 画による『ポパイ』が出版された。ポパイは、すでに昭和34年からテレビアニメとして放映されている。
教育者らにより執筆された、滑川道夫の『マンガと子ども』は、子供たちが楽しんでいるマンガの現状を調査し、生活にどう位置づけるかを目指した書籍です。また、高部義信訳の『アメリカ新聞論説 漫画集』(研究社)は、ジャーナリストでマンガ家でもあるジェファーソン・D・ヨン氏の社説を翻訳したものです。
この頃になると、社会が戦後復興から豊かさへの落ち着きが見え、非難の対象にすぎなかった漫画は、受け入れられる方向になってきたようです。