昭和37年5月、南極観測船“宗谷”が四日市港へ入港しています。小学生は見学に行ったのでしょうか?(映画は観た気がします)中部中学校に入学したばかりの私は、見学の記憶がありません。“宗谷”が出来たのは昭和13年なのですね(耐氷型貨物船)。そして、昭和31年から37年まで南極へ行っています。
南極観測船「宗谷」│船の科学館公式、ホームページ (funenokagakukan.or.jp)
この年の12月には“礒津橋”が完成しています。3か月前の9月に四日市地区大気汚染対策協議会は発足していて、公害が問題になってきていました。そして、港中学校が、昌栄町から十七軒町へ新築移転した年でした。みんなで椅子と机を持って移動したと聞きました。現在、昌栄町の跡地には温水プールができています。
ザピーナッツ・植木等・橋幸夫・石原裕次郎・ジェリー藤尾・中尾ミエ・弘田三枝子・守屋浩、といった方がピンとくるかもしれません。
徳南晴一郎の『怪談人間時計』(曙出版)は、歪んだ線で狂気漂う世界が描かれたカルト的な作品として語り継がれています。
さいとうたかおが永島慎二らとともに作った、貸本向けの劇画雑誌『ゴリラマガジン』は、漫画界で初のプロダクション形式を取り入れ、自らが作画、編集、出版を行いました。
昭和30年代に全盛を極めた貸本雑誌も衰退時期を迎え、『街』は休刊となり、大手の週刊誌に移っていきました。
少年・少女雑誌も転換期を迎えます。『少年クラブ』『少女クラブ』(講談社)、『少女サンデー』(小学館)は休刊となりました。
一方、『風車』(若木書房)、『ティーンエジャー』(曙出版)、『花刺繍』(三洋社)、『ゆりかご』(東邦漫画出版社)、『風車』(若木書房)などの 少女向け貸本短編誌が創刊されています。結果、貸本業界を最後まで支えたのは“少女マンガ”で、若木書房など少女向けの作品を多く手掛けていた出版社でした。
そのほか、冒険王編集部編『マンガのかきかた』やミンゴーテ画、木村定訳の『マンガ・世界歴史』(みすず書房)などが発刊されました。