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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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映画張込みにみる佐賀の風景④

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高峰秀子を尾行する大木実。行き交うのは“ロバのパン売り”ではないだろうか?人がガラスケースを引いているようだ。

昭和6年、札幌の“ロバパン石上商店”は、中国から贈られてきたロバにパンを引かせて人気が出た。後年、ロバの体を思いやって止めているが、現在も石上の会社は製パン会社“ロバパン”として営業している。

戦後“ロバのパン”は馬(木曽駒)がとってかわり、昭和30年にはテーマソングもできて、全国160店のビタミンパン連鎖店(チェーン店)でパンの行商がされた。やがて人力車、原付自転車、自動車へと移っていったが、スーパーやコンビニでの菓子パンの販売に押されて下降線をたどった。平成になっても十数店が営業し、カステラやドーナッツを加えて販売していたが、平成25年 連鎖店は、岐阜市、三重県四日市市、高知市、徳島県阿波市の四店に減った。今でも京都市にあるビタミンパン連鎖店本部では、“パン売りのロバさん”の曲を流しながら、蒸しパンやみたらし団子などを製造販売している。

(170) ロバのパン屋(パン売りのロバさん)(近藤圭子)~ZENZI - YouTube

昭和35年頃、販売数は馬車1台につき700~1200個、月収は1~2万円で、歩合制。パン1個の単価は10円だった。

参考まで・・・

ロバのパン岐阜 | 株式会社ビタミンパン連鎖店本部 (robanopan.net)


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