樹林社さん発刊の写真集「四日市の昭和」に懐かしい写真があった。
昭和28年頃か?左から4番目がしょうちゃん、その右がもちのくんである。二人の家は、右方向の商店街にあった。四日市幼稚園から帰ると、自分を含めてよく遊んだ。ムム?自分は居ない。しょうちゃんは、長靴を履いて池の中に入ろうとしている。池には亀がいた。
池に立つ柵が同じだ
ここが何処かというと、「神社入り口鳥居南」と木戸君がいとも簡単に教えてくれた。なるほど、左下に落ちているのは灯篭の屋根である。屋根の形は同じ、空襲時の爆風で飛ばされたのか?そして、正面背中を向けている「明治天皇 お歌の碑」は、後に、神社のどこかから移されたのだろう。
博物館刊「写された四日市の風景」
大正期の写真だが、鳥居の両側に灯篭が立つ。池が分かりにくいが石橋が確認できる。昭和28年頃の写真は、石橋を渡ったところで逆向き、左に向かって撮られた。この池は昔、新田町から旧道沿いの諏訪駅を流れ、あせち川に合流していた。きれいな流れでしたそうな。神社と公園は子供たちの遊び場だった。太陽堂のじゅんちゃんは、本堂の屋根に登ったと聞いた。
<追記>中日新聞掲載。ここにも高齢者皆様のご活躍がある。