寛文年間
札ノ辻を中心に、北町組の小山は、“紅葉狩り(露天からくり人形山車)”です。平維盛が山中で、女に化けた鬼から紅葉狩りに誘われ、命を狙われますが、男山八幡の助けで鬼を退治するという謡曲をからくりにしたものです。貴女が鬼女に早変わりしました。北町には芸子衆が多く、山車の後ろに鳴り物を囃す(長唄)底抜け屋台(枠だけで 歩いて続いた)がついていました。同種のからくりが名古屋の中村区花車 神明社にあるそうです。(前田憲司氏談)
北町の小山“紅葉狩り”(提供:前田憲司氏)
辻の南側は南町組の小山で“八岐大蛇退治(露店からくり人形出車)”。スサノオノミコトが大蛇退治でクシナダヒメを救う人形で、舌を出す恐ろしい大蛇の姿が評判でした。明治34年の記録では、天岩戸であった記録がありますが、浦島太郎や三番叟の人形のときもありました。火災によるものかその年によって変わっていたようです。(前田憲司氏談)
北町、南町ともお囃子が良かったようで、宿場のにぎわいが伝わってくるようです。
南町の小山“八岐大蛇退治”(提供:水谷宜夫氏)
上新町の“上代(大昔)人形”は、昔の故事にちなんだ人形屋台のことで、担いで行列をしました(釣り物)。神武天皇などの四神のほか、スサノウノミコトの大蛇退治や神功皇后の三韓征伐、仁徳天皇などの人形が作られたそうです。
上新町の釣り物“上代人形”(提供:水谷宜夫氏)
<浜田小学校のこと>明治8年に第二小学校として浜田村に開設⇒明治20年4月1日 浜田簡易科授業所として25年8月まで併置⇒明治30年8月1日 四日市市浜田尋常小学校⇒明治41年4月 四日市市第二尋常小学校⇒大正14年4月 四日市市第二尋常高等小学校 とありました
明治44年の地図
地図の十七軒町とある文字のあたりから北側を撮りました。右に崇顕寺さんが建ちますので、この路地は当時のままかもしれません。
昭和36年当時の浜田小学校
現在の浜田小学校