三丁目の夕日より
回答編 問.1の答えは、C.日本電波塔でした。東京タワーですから、東京電波塔と言いたいところですね。設計に携わった一人である内藤多仲氏は、名古屋テレビ塔や二代目通天閣なども手掛けていて“塔博士”と呼ばれていました。そして、建設中の東京タワーの記録フィルムで、真っ赤に焼けたビスを火箸でもって手から手へ投げ渡しているシーンがありましたが、当時は、職人の手作業が中心だったんですね。
問2.黒部ダム建設に取り掛かったのはA.の昭和31年です。富山県の秘境に高さ186メートルの巨大なダムが完成したのは昭和38年でした。長い年月と多くの犠牲の上に完成しました。三船敏郎、石原裕次郎の出演で“黒部の太陽”が製作されたのは昭和43年の事です。
監督 熊井啓、三船プロダクションと石原プロモーションが関西電力と組んで共同制作し、大ヒットしました。当時は五社協定の縛りがある中、石原裕次郎は宇野重吉(劇団民芸)に相談し、三船敏郎は東宝に願い出て、関西電力という初めて企業がタイアップした大作でした。