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ぶらり四日市 その十四 県との確執

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稲葉翁に関するブログ(2021年10月1日~10日)については、図書館でお借りした“郷土秘話 港のできるまで 稲葉三右衛門築港史”大鳥重敬 著を資料とさせていただきました。

2021年10月1日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

お借りした時点でかなりいたんだ本でした

この書籍は、赤堀城西町の三重公論社 発行で、昭和31年11月に出版されています。印刷されたのは浜田にある弘運館の駒田菊一氏で、駒田さんはパッカンの機械などをお持ちでイベント時に披露されていたことを思い出します。

著者の大鳥氏は、「稲葉翁に関する資料が乏しく、知る人の高齢化や戦災等で、今(昭和30年時点で)まとまったものを作らねば」と一念発起されたようでした。

“港のできるまで”より

この本を読ませていただき、築港事業に対して県との確執があったことを知りました。県は、莫大なお金がかかる築港事業は公共事業として行われるべきだと考えていました。ところが稲葉三右衛門氏が無謀にも独力で取り掛かった。個人の事業なので所詮規模は小さかったのですが。「まあ待て、金の工面がついたら県がやる」完成の暁に港が個人の所有になっても困るので“急ぐべからず”と躊躇していたところ裁判にもちこまれてしまった。ということではないでしょうか?

昭和7年頃(市制80年記念誌 四日市のあゆみより)

県史編さんグループ 石原佳樹氏は、稲葉翁の事業は未完であったと述べています。

稲葉三右衛門の「夢」未完?-直後に県が築港事業構想 (mie.lg.jp)

続いてこんな記事にリンクしました。稲葉翁が藍綬褒章を受けたいきさつがあって、地域産業発展の為には、稲葉翁の評価は大切ですというものでした。

起業家精神を評価―稲葉三右衛門の藍綬褒章受章 (mie.lg.jp)

稲葉翁の築港事業は中途だったかもしれない。どこまでが完成なのかは分かりませんが。ハード事業に“竣工”という言葉がある以上、どこかで何らかの区切りは必要なのでしょう。しかし、私財を投じて港構築に取り組み、後世の発展に貢献したことは大いに評価されるべきでしょう。県は稲葉翁の藍綬褒章を受けるにあたって尽力していたとありました。


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