明治40年発行の“四日市史”伊藤善太郎著のうち“四日市名所案内”に、昌栄新田が四日市観光名所として挙げられていたのでご紹介します。
水谷百碩 画“昌栄新田潮干狩”
昌栄新田・・・もと、新田のありし所なれば、今は、遠浅の海辺なれども。なお、旧名を襲用して、昌栄新田とはいうなり。朝日の洲、遠く海中に突き出して一大湾をなし、内に、汽船、帆船の林立するあり。又遥かに眞帆 片帆の海上を往来するありて、その風光の美なる、到底 筆紙に盡しがたし。されば、潮干狩り、海水浴、観月等には最も格好の地にして、毎年 期に至る毎に、関西鉄道は特に列車を発して、名古屋よりの来遊者を向かうるなり。
明治44年の地図より
旧四日市港方向に向かって撮る
運河から尾上町沿いに南方向
金砂稲荷という社があった。”高砂”のつもりか?
風光明媚な砂浜が続いていたようだ。