江戸の町、浜町河岸の箱崎近辺に“船まんじゅう”と呼ばれる売女たちがおりました。船に乗って一回りする間に事を済ませるという、吉原の遊女から比較すると、最下層の遊女でありました。年の瀬の31日、ある店の手代が集金を済ませ河岸の処を通りかかりますと、誰かが声をかける。「お兄さん、ちょっと遊んでいきなさいよ」「集金を済ませて帰るところだ。そんな暇はないよ」一旦は断りましたが悪い虫が起こる「少しならいいだろう。まだ陽も高いことだし。おや、ずいぶん若くて かわいい顔をしてるじゃねえか」
さて何を済ませて、船からあがって店の前まで来てフトコロを確かめ驚いた。あったはずの金がない。目の前は真っ暗になる。あわてて掛け取りに行った家まで戻って確かめたが、「あんた、確かにお金をもって出たよ」の連れない返事。「どうしようどうしよう、この身を投げて死んじまうか」町中を徘徊し、食べることも出来ずに瘦せ細り 亡霊のような姿になった。
あけて正月の4日目、男はふと船まんじゅうで一時を過ごしたことを思い出した。あわてて河岸へ辿り着くと、船の中からあの時の女が声を潜めて呼びかける。「お客さんは大晦日に来なすった人だね。忘れ物をしなかったかい」「忘れ物だ 忘れ物だ」「しっ どういう忘れ物だい」財布と帳面であったことを聞くと、その女はにっこり笑って財布を差し出した。「そんなことだろうと思って毎日ここで待ってたんだよ。親方に知れたらわたしゃ お金を取り上げられて殺されちまうよ。船まんじゅうの親方なんて、そんなもんなのさ。このお金のためにあんたは死ぬかもしれないし、わたしゃ、殺されるかもしれない。だからあんたに返すため、必死で隠しておいたのさ」
男の口から言葉にならない声がほとばしった。肉の落ちた頬を涙が伝って落ちた。懐から有り金全部を掻き出して、女の手にたたきつけるように置いた。
「おや、お礼をくれるのかい。それじゃあ ほんの少し頂いとくよ。お金は早く持って帰ると良いよ」男は親方と女の名前を聞いて飛ぶように主人の処へ帰った。
ことが一段落し、店の主人は 改めて奉公人と遊女の正直なことに感心し、二人を夫婦にさせることとした。めでたし めでたし (耳袋より)