ぶらり四日市 その二十八 諏訪新道①
“四日市史”四日市市南町 伊藤善太郎 著・明治40年5月13日発行 (本町・水谷宜夫 所有)の“運輸交通”の項目に、 本町 水谷宜夫氏所有...
View Articleぶらり四日市 その二十九 諏訪新道②
空襲後の諏訪新道 四日市中心市街地が空襲で焼け野原になったのち、一等市街地は"諏訪新道”へと移った。銀行、呉服店等が続々と建ちだしたのだ。岡田屋呉服店も出店し、南の呉服町商店街と並んで四日市一番の商業地となった。 またまた登場!昭和28年発刊の名古屋タイムスさんが、当時の様子を書いてみえる。当時の元気がこの文からうかがわれる。 西 中 東(右上の中部中学校は誤り 正しくは...
View Articleぶらり四日市 その三十 西末広町の謎
今日は一日、暇だったので、末広橋がいつできたのかを考えておりました。まず、明治40年の水谷宜夫氏から借り受けた“四日市史”の地図ですが、明治39年に“四日市四大事業計画”として、阿瀬知川の開さくと入江浚渫、海面埋立て浚渫、諏訪神社前道路改修(諏訪新道)が挙げられています。稲葉三右衛門翁の志を引き継いだ事業でした。 順次年表を引っ張り出してみます。 明治40年...
View Articleぶらり四日市 その三十一 四大事業
四日市は、明治30年8月市制実施をしました。そして、稲葉三右衛門翁の遺志を引き継ぎ、明治39年に市は港の四大事業に取り掛かったのです。(椙山 満著“四日市市史より) その四大事業とは、 1.阿瀬知川の開さく(川口の築港化で、のちに末広川と呼ばれる運河になる) 2.入江の浚渫(港―蓬莱橋―開栄橋―思案橋に至る運河の浚渫のことで、のちに浜町運河と呼ばれるもの)...
View Articleぶらり四日市 その三十二 納屋運河緑地
相生橋から南 嘗ての納屋運河は埋立てられ、緑地公園になっている。公園は南へ伸びていて末広橋と昌永橋のかかるところまで続いている。 納屋運河の由来 天然の良港であった旧四日市港は、明治初期に稲葉三右衛門翁の手により修築された近代港湾への基礎が築かれた。その後港勢の進展にともない、旧港だけでは船舶の入港に応じきれないため、新港の開さく計画に基づき、再度工事が起工され、昭和11年念願の新港が完成した。...
View Articleぶらり四日市 その三十三 あすなろ鉄道①
“あすなろ鉄道”で四日市から内部まで出かけてみました。この記録は GGシニアさんでYouTubeにしていただきますのでお楽しみに(某氏に観てもらったら ツマラ―ン の一言でゴザイマシタ トホホ) 四日市駅 明治37年から38年にかけて、日露戦争が終わって日本中が戦勝気分の好景気に恵まれ、各地に軽便鉄道が敷かれました。 大正11年8月マップ 沿線案内(大正期) 明治42年...
View Articleぶらり四日市 その三十四 あすなろ鉄道②
大正5年に“三重軌道”は“三重鉄道”に改称。大正11年6月には支線として日永~内部間が開通しました。天白川や鹿生川の上り坂をあえぎ あえぎ上る汽車に 乗客は列車から降りて車両を押したそうです。 鹿生川の橋梁 天白川の橋梁 しかし、昭和2年5月になると フォード社製4気筒ガソリンエンジンを搭載した軌道自動車が導入され走り出しています。 八王子線との分岐となる日永駅 大正5年3月 国鉄四日市駅の南側に...
View Articleぶらり四日市 その三十五 あすなろ鉄道③
このあたり 田植えが済んでいます ここは小古曽駅 住宅地の間に建つ 可愛らしいプラットホームです 内部の山中胃腸科病院がみえてきました もうすぐ終点です 内部駅構内へ 終点です 折り返し四日市行を待つ子供さん のどかな風景です 内部は 内部川が流れており 沿線地図を良く見ると 押し車に砂利を乗せて運ぶ人の姿が描かれています ここには現在でも砂利砕石場があります。また、大正当時は 環境が良かったのか...
View Articleぶらり四日市 その三十六 あすなろう鉄道④
「軽便鉄道そのものも、昭和40年代にはほとんど姿を消し、その役目をひっそりと終えた。そして平成の現在、リニアモーターカーが時速581キロメートルの世界記録を達成しても、軽便鉄道の残党はまだ生き残っていた。近鉄内部・八王子線、三岐鉄道北勢線である。」“ニッポン鉄道遺産を旅する”交通新聞社刊(平成17年11月発行)より 四日市市史 椙山満著より また、平成元年11月発行の 記念すべき“旧四日市を語る...
View Article市街地への大学誘致構想スタート
JR駅前に?と噂になっておりました 大学誘致の件が ようやく策定事業に進みます。もともと四日市大学は 郊外にあり 今後の人口減少に伴って生徒数も減り 利便性の良い市街地への移転が話題になっておりましたが、これで 昭和31年以来地盤沈下が進んできた諏訪、本町・沖ノ島町に 一筋の光明が見えてまいりました。 昭和31年頃の航空写真 大学キャンパスは 赤丸のあたりか?
View Articleぶらり四日市 その三十七 湊小路
四日市駅(現在のJR四日市駅)の北西部にあたるところに、“新丁”がある。新丁は江戸期から続く古い町で、昭和37年の戦後復興土地区画事業時に“新町”と改名された。 大正期の四日市駅付近 新丁といえば、湊座を正面に見て南に延びる“湊小路”を忘れてはならないと、岡野繁松先生が“旧四日市を語る...
View Articleぶらり四日市その三十八 湊小路②
たいじゅ様からコメントをいただき 湊座東 線路を背に川村座があったことが 大正期の地図からわかります。湊座に比べて可愛らしい小屋だったようです。 本町の水谷宜夫様からお借りした地図でゴザイマス たいじゅ様のコメントです...
View Articleぶらり四日市 その三十九 湊小路③
本町の水谷さんからお借りした 絵葉書 戦前の店の並びが伺い知れる。すずらん灯らしき街路灯が灯り すぐ先右に入ると湊小路となる 左には熊澤ビルが建つ 旧四日市のマップを複製した ちょうど 矢印の位置から撮られた写真のようだ カフェ ブルドックと勢州新聞さんの位置も確かめられた ※ たいじゅ様のおばあさんのお家 昭和43年のゼンリン地図(一番古い)を掲載します 参考まで
View Articleぶらり四日市 その三十九 湊小路③復刻
暇に任せていじくっておりましたら 三十九が消えてしまいました 復刻版です 本町の意水谷さんのカラー刷り絵葉書 ちょうど矢印あたりから西に見た写真でした すずらん灯が並び 湊小路入り口の喧騒が伝わってきます 赤丸のカフェブルドックさんの広告 勢州毎日新聞さんの広告です 不動産屋さんもしていたのでしょうか? そして たいじゅさんのおばあさんがお住まいだった付近の地図 昭和43年の住宅地図です
View Articleぶらり四日市 その四十一 本町を歩いた
本町を歩いてみました 昭和11年頃 旧四日市を語る会 制作をイラストレーターに起こしました 湊小路の入り口 みだやさん前から湊座の方に向かって・・・ ① 戦後の区画整理で 道幅も広くなっています ② この場所に湊座があって その後四日市東宝劇場となりました 現在は歯医者さんの立派なビルが建つ ③ 1本東の路地ですが 往年の雰囲気が残ります ④ 空き地が目立っています ⑤ 踏切方向に撮る ⑥...
View Article中入道のリニューアル
スワ栄とグリーンモール商店街の角に立つ“中入道”。まちづくり協議会が中心となって衣装のリニューアルが行われた。 中入道も きれいなべべになって うれしそう...
View Articleぶらり四日市 その四十二 三和商店街
戦後の昭和22年 西駅前にマーケットが出来ました 三和商店街です 昭和53年の住宅地図を見ますと バーや飲み屋さんが路地の両脇にずらっと並んでいます 昭和30年代の三和商店街 昭和26年3月にマーケットで火災が起きたという記録があります この時 四日市では初めての災害救助法が発動されました 三和商店街も老朽化が進み危険であるということで ようやくその三分の二程が取り壊されて駐車場になっています...
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