“四日市史”四日市市南町 伊藤善太郎 著・明治40年5月13日発行 (本町・水谷宜夫 所有)の“運輸交通”の項目に、
本町 水谷宜夫氏所有
諏訪前道路・・・諏訪前より停車場(国鉄四日市駅)に通ずるものにして、戦後(日清・日露戦争)各種の事業勃興すると共に、戸口劇に増加し、遂にこの新道路改修の止むを得ざるに至り。今や改修功成るや成らざるに、既に新築家屋、両側に櫛比し、繁栄なる新一市街を形成するに至れり。その将来の発達、蓋し括目して観るべきものあらん。
明治40年
とありました。浜往還、南浜往還に続く諏訪町の新道の誕生です。明治末期には、関西鉄道の四日市駅が本町に出来るに従い、四日市鉄道と三重軌道の線路に並行して、諏方神社から港へ伸びる道路が賑わいを見せ始めていました。これが諏訪新道から沖ノ島、本町に続く道路です。
明治44年の地図では 三重軌道と四日市鉄道の路線が計画されています