GGシニアさんに、動画をアップしていただきました。バスタで工事中の中央通りと博物館前に立つ“平和の女神像”のドッキングでゴザイマス。
(4) 「四日市中央通りであった博覧会/タイムスリップ/ 昔の写真をご紹介」 - YouTube
『浜田小学校百年史』より
浜田小学校の歴史は古い。江戸期、私塾が統合され、四日市学校から浜田学校が江田町の民家(生川吉郎宅・阿瀬知川北)へ移されたのは明治8年11月のことでした。そして、明治19年の小学校令で“尋常第二小学校”(6年制)となった浜田小学校は、東海道沿いの崇顕寺西側に建てられます。
次の写真は、北浜田時代、移築後大正9年の記念撮影です。
下の写真は、旧東海道沿いにあった北浜田時代の校舎写真と略図です。東海道沿い、駐在所の奥、阿瀬知川を背にして造られていました。入口正面に立つ二階建ては、一階が職員室と二階が裁縫室と唱歌室になっていました。
大正11年、児童数は400人を超えるようになり、現在の場所に移築されました。南から校舎を望む、戦前の浜田小学校です。
昭和20年6月、学校も空襲に遭います。類焼は西から北校舎、そして東へ進みます。当直の本田先生は、女性先生二名に“御真影”(昭和天皇の写真)を持って校庭の防空壕に避難させ、必死の消火作業に入りました。つづく