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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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明治期の四日市祭 式典編

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明治期の四日市祭りはどんなだったでしょう?9月26日は、試楽(しがく)といって、四日市の各町が陣屋へ練り込み演技を披露しました。浜田村からは新田町の大山だけが北町の大山への挨拶に出向いたそうです。

新田町の小山 天岩戸神楽

さて、祭典当日の27日の式典の様子です。朝、新田町の大山を阿瀬知川が流れる江田町の石橋まで曳き出し、ここで濵田の大山を迎えて、共に諏訪神社鳥居前まで東海道を北上します。拝殿に向かって右に新田町、左に濵田の大山が配置されたところで、“花納(はなおさめ)の式“が執り行われます。本殿前に立った“前乗(まえのり)”が新田町、濵田町の順に桜の造花を献上し、これに対して神職は“神酒使”に御神酒を授与させるのです。次に大山上での“獅子舞の式”に移ります。この時、新田(天岩戸)、江田(大黒天袋破り)、濵田(富士の巻き狩り・三神)等が順次拝殿前へ練り込み演技を披露します。これが終わると各町への帰路につき、江田の大山も続いて東海道を南進します。ただ、新田町の大山は鳥居前に残ります。

濵田 富士の巻き狩り

その後、神社へは西町の大山を先頭に南町(天岩戸神楽)、上新町(上代人形)、竪町(唐子遊び)等の邌りに続いて北町の大山が入ってきます。こうして鳥居前に新田、西町、北町の大山が並んだところで、濵田の大山と同じ“花納”と“獅子舞”の儀式が行われ、終わると神社を出て東海道を濵田方面へと南進していきます。帰りは、北町の大山を先頭に西町の大山と各町の邌りが続きます。諏方神社は濵田の地域であって、四日市宿は、濵田に敬意を表しているようです。四日市と濵田村の構図が良く分かります。

上新町 釣り物 上代人形

話しを27日の式典の朝に戻します。濵田村の庄屋と四日市宿の三役が陣屋へ出向き、本陣の“御出役(当時の出張吏員)”と共に神社へ出向きます。御出役は麻地に家紋の正装で拝殿にて、三役以下は詰め所にて祭礼がことなく済むよう見守ります。時によっては、花納の式が終わると御出役は「儀式は済んだので適当にやってくれ」と帰ることもあったそうです。

竪町 小山 唐子遊び

こうして各町の邌り込みが済むと、神職は“一萬度大麻(いちまんどおおぬさ)”を陣屋に収め、式典が無事終了したことを報告します。これで祭りの初日が終わることになります。

小山 天岩戸神楽


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