四日市祭りは何時から始められたのかは定かでありません。
北条町の魚づくし
さて、その起源を探ってみますと、北町の大山車の弊束(お払いに使う御幣)に“延宝七年巳未七月”と記してあったということです。延宝七年は1679年(徳川家綱が第四代征夷大将軍の時代)になります。
袋町の鯨船
大山車は、西町、北町、新田町にもあって、享保九年(1724年) 四日市宿を管理していた郡山役所に出された明細帳に「濵田より大山車二輌、四日市より二輌、他に 邌物少々・・・」との記録がありました。従って、1679年〜1724年の間に揃い出し、徳川家治の安永年間(1772年〜1781年)には四日市祭りが完成していたことになります。ただ“邌り”は市民の余興で造られたものであって、時代によって変化しました。
新丁 菅公謫居の状
ここに安永時代と明治時代の邌りの比較を見ることが出来ます。
蔵町 狸の腹づつみ