昭和29年、四日市幼稚園に通っていたころと思う。夏の午後、お母ちゃんの手に引かれて“すわとん”前からバスに乗る。ボンネットバスは諏訪新道から三滝通りを左折、突き当たったところを東へ曲がった。乗車時間は約25分、田んぼの中に立つ“午起バス停”に到着。バスを降りると角の食堂は賑わっていた。
昭和28年の空撮 バス停を降りて東へ 高浜住宅を抜け 堤防を上ると海水浴場が広がっていた
昭和13年 海水浴場の真ん中にある□が休憩所か?
正面には、立ちはだかるようにコンクリ―トの堤防が威容を見せている。堤防を上がって驚いた、そこには、海水浴で賑わう多くの人がいて別天地である。
昭和6年の午起海水浴場
よしず張りの休憩所の横で、お母ちゃんは私をすっぽんぽんにすると、素早く海水パンツをはかせた。休憩所の中では演芸が行われており、食べたり飲んだりおしゃべりしたりしていて、独特の“におい”がしていた。あの“におい”は何だったのだろう?すいか、飲食、人息、化粧・・・?そうだ!よそ行きの裸の臭いがしていたのだ。
昭和24年四日市の今昔より 三滝川河口の浚渫工事の様子 右端に午起海水浴場がみえる
そして昭和30年の小学1年生の時、学校から午起海水浴場へ行った。遠くには工場群が望め、人気(ひとけ)はなかった。体中に点々と重油のようなものをつけて帰ったので、お母ちゃんは私を店の包装台に立たせるとすっぽんぽんにしてカシュ―シンナーを脱脂綿に付けて体中をこすった。天井が低く、暗い店内に回転する扇風機がシンナーを吹き飛ばして心地よかった。お母ちゃんはお客さんと話をしながら脱脂綿で拭く“午起も汚れてきた、もう泳ぐことは出来やんのやなぁ”と・・・。四日市の海水浴場で泳いだのは、それが最後である。
この絵は、出口對石氏が描かれた“馬越の晴嵐(うまおこしのせいらん)”(知られざる四日市の面影 博物館刊)より です。7月頃の午起海岸でしょう。水が張られた田んぼの向こうには堤が広がり松林が望めます。真っ青な伊勢湾に浮かぶたくさんの帆船。入道雲が沸き立ち海水浴の季節がもうすぐやってくる、そんな静寂の午起です。気になったのは右下、田んぼの中に立つもの。重要なポイントになっているようですが、何でしょう?田植えの後の箱でしょうか?田圃の苗が風に揺らぎます。