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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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浜往還の一本松

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昭和58年に創刊された“四日市文化展望”。その第1号に“浜往還の一本松”として椙山満先生の投稿があった。大きくはっきりした写真だったので掲載させていただく。

この絵の右隅に「幕政時代四日市湊燈台附近光景」とある。徳川時代の四日市湊は、札の辻→上中町→濱町→築地(思案橋)→蔵町の通りが海辺に出たところで、このような巨松があって、その下に乗船場と燈明台が海を向いて立っていた。左手は海で、天保12年に出来たと昌永新田という埋立地(のちの高砂町)もまだ描かれていないところから、この絵はそれ以前の四日市湊を描いたもの。波が直に打ち寄せ、旅人たちは潮風に吹かれるまま、船を待っている。中納屋町、開栄橋のたもとにあったこの場所で、安政4年、高潮の浸食を受けて枯死するまで四日市のシンボルであったというこの老松の物語も、今は遠い幻の海の彼方に消え去ってかえりみる人もいない。   椙山 満


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