文化展望 創刊号より 椙山 満氏著 この写真も鮮明に写っておりました
大正11年8月5日、文化展覧会が開催された時、紅白の祝賀ポールが立ち並んだ諏訪新道の沖の島附近、左の家の軒先に理髪店の看板(川口床屋か?)、道の真ん中に突き出した氷の旗印のずっと西方に「もち」の文字がみえる。行く手には諏訪神社の森が茂っている。右側にポストが立ち、タバコの看板から先方が現在の郵便局の場所、道幅は現在の約半分位であった。
明治5年8月、学制頒布された。我が国初の近代的学校制度を定めた基本法例である。全国を8つの大学区に分け、その下に中学区、小学区を置き、各学区にそれぞれ大学校、中学校、小学校を1校ずつ設置することとされた。そして、50年後の大正11年8月“学制頒布50年記念県市連合文化展覧会”が諏訪公園で開かれた。さて、諏訪公園では、どんな行事が開かれたのでしょうか?諏訪公園として市に譲渡されたばかり、熊澤館(現 諏訪公園交流館)はまだ出来ていなかったはずで、木造の旧図書館で講演会でもあったのでしょう。