昭和9年の納屋運河
蓬莱橋の上から眺めた昭和9年の納屋運河。向こう岸の団平船(だんぺいせん)が並んでいるところが、昔の二代目四日市湊の船着き場の跡。その浜には浜往還一本松と呼ばれる巨松がそびえて旅人たちに緑陰を与えていた。右方に見える開栄橋の脇には駐在所と半鐘のついた火の見櫓が立つ。中央の白亜館は四日市郵便局。半鐘の向こうに煙を吐く煙突は東洋紡績。昭和62年12月発行 文化展望第5号 椙山満著 四日市今昔⑤より
現在は、白亜の郵便局も沖の島へ移転され、郵便局の跡を記す“逓信省用地”と彫られた境界石のみが残っています。
昭和62年当時
明治期、郵便局に西に稲葉三右衛門翁が住んで居ました。この開栄橋を稲葉翁は何度も何度も行き来したことでしょう。
昭和13年の地図 第二期築港工事が進み 千歳橋から千歳町の埋立地にわたることが出来ました。ここで昭和11年3月 国産振興四日市博覧会が開催されました