“旧四日市を語る”第6集に掲載されていた。山口守さんが子供の頃、とあるお年寄りから聞いた話、とあった。『おふくさん』。
比丘尼町あたりになるか?南町は江戸時代に宿場で賑わっていたところで 旅籠や料亭が軒を連ねていた。
南町の往還から一筋西へ入ったところに三軒長屋がありました。
その真ん中の家に、泣き虫「秀坊」と呼ばれる五つ位の子が居りました。とくに夜になると、よく癇をたてて泣きわめきました。おそらく母親に駄々をこねてのこと、また、この母親が芸者上がりの気の強い女、ちょっとしたことでも、竹ぼうきで子供のお尻をたたくという有様。そういう時、秀坊はきまって隣近所に聞こえるように、わざわざ戸口に立って、右に左に泣き叫ぶのでした。母親も負けてはいません。何と玄関戸を占めて、つっかい棒をしてしまうのでした。
その晩も怒鳴りながら「秀、ええかげんにせんか。お前みたいな子は、うちの子と違う。何処へでも行ってしまえ。アホ、ドアホ」
これまた、隣近所に聞こえるように叫ぶのでした。それがなんと夜も十時を廻った頃。
もの陰から、一人の女の人が、じっとその有様を見ていました。『おふくさん』でした。秀坊が泣くのをやめて、しゃくりあげだした頃、おふくさんはそばに寄ってきました。
「坊、なに悪さしたんや?」もう夜も遅いし、おかあさんに 御免してもらおな。」
「かあちゃん なかなか ごめんしてくれやへんのや おばちゃん」
「うちに 任しときな」
そう云いながら おふくさんは、ゆっくり戸口に近づいていきました。勿論、秀坊は、この女の人が『おふくさん』であるとは思っていません。不安そうにこの様子を窺っておりました。
「もうし、お勝ねえさん!もうし」
二三度 戸を叩くと「誰や?今頃、何の用事?」三寸ほど戸が開きました。
「ご無沙汰 花月のお咲ですのや。」
「お咲ちゃん 古市から帰って来たの?」
吉田初三郎の鳥観図より伊勢 右上に古市の文字がみえる 旅館や遊郭が並んでいた
「へえ、お母さんが具合が悪いというので、急いで戻ってきましたんや。この子、おもてで寝ていました。布団に寝さしてやって。風邪ひくとあきませんに。」
見るとなんと、秀坊は、すやすや寝ておりました。お勝はきまり悪そうに、
「もう、ほんまに、しょうもない秀坊。」と云いながら、おふくから秀坊を、もらいうけると、「おおきに おおきに」と、一旦、中に入ると、しばらくして外に出てきました。
そこには、お咲さんに化けた、おふくさんの姿はありませんでした。お勝と呼ばれた、その母親は、小首を傾けて、きょろきょろ辺りを見回しておりました。
おふくさんは、木陰からそっと様子を見つめ、さっと暗闇に姿を消しました。
その時はすでに、お狸さんの姿に戻っておったということでした。