中野 翠(みどり)氏のおもしろい本が図書館にあった。“この世は落語”筑摩書房刊。
中野さんは映画好き、落語好き、文楽好きなコラムニスト・エッセイスト。小津安二郎さんのことを書いた“小津ごのみ”は何度も読ませていただきました。
さて、落語「刀屋」(おせつ徳三郎)のお話から。
若い男が興奮して刀屋に刀を買いに来る。恋人が他の男と結婚するということを知って逆上、いっそのこと二人を切って自分も死のうと思い詰めたのだ。
刀屋のあるじは、男のただならぬ様子からすべてを察し、おだやかに、それとなくなだめ、こんなことを言う。
「世の中ってェもんはね、あんまり突き詰めちゃあつまらないもんだ。粋(すい)に暮らさなくっちゃいけません。“世の中すいすい、お茶漬けさくさく”ってえくらいのもんでね」
さらに、その「お茶漬けさくさく」で思い出したかのように、「あたしは急に茶漬けが食いたくなった。お前さんもこちらにあがって、食べてったらどうだい」と誘うのだ。
わたし、この場面は好きですね。とにかく一緒にご飯を食べようという誘い。いいなあと思う。
思い詰めてもどうにもならないことはたくさんある。むしろそちらのほうが多い。時が経てば、あの時なぜあんなに思い詰めたんだろうと、自分でもつくづく不思議に思われることもある。必要以上に物事を重くしないこと・・・それこそ粋(すい)というものだろう。
食べるという行為がココロのほうを救ってくれることもあるのではないか。おなかを落ち着かせればココロのほうも落ち着く、というぐあいにならないか。食べるという、生きものとして基本のことをする。それで救われることも、きっとある。
スッカラカンの、ただの生きものに戻ることなしに浮力は身につかないだろう。ゲーテだか誰かの「涙とともにパンを食べた人間でなければ人生の味はわからない」という言葉はもしかしてそういうこと?・・・と私は勝手に解釈している。