昭和三十三年七月十八日、凌霜書房前の様子。凌霜書房は、諏訪百貨店、通称スワマーケットの入り口にあった。店番をしながらこちらを見ているのは、現在の白楊のおばあさんだそうだ。
白楊へは今でもよく出かけるが(現在、1番街店は閉店している)、凌霜書房は記憶にない。「ぼくら」「少年画報」「おもしろブック」「少年」などの雑誌が月初めになると発売された。付録がたくさんついていて膨れ上がった本を紐でくくってあった。昭和三十四年、週間「少年サンデー」、続いて週間「少年マガジン」が発売され、子供向けの月刊誌は徐々に姿を消していった。
マルモ乾物店の西に並んで凌霜書房があった。そこから中へ入ると右に“まつ重文具店”左に洗剤や化粧品を売っている店。奥に八百屋さんがあって、U字型に回ると西に中村履物屋さんとボタン屋さんが並んでいたと想像できる。
昭和三十五年十二月二十日。諏訪百貨店、通称スワマーケット内部のボタン屋さんだ。この写真を見て驚いた。豊富な在庫、明るい店内。若々しい店員の手際のよい接客。二,三坪の店に活気があふれている。しかも、ここの屋根の上では、すでに解体工事が始まっているのだ。ほとんどの店が閉店している中、この店は未だ営業を続けている。「お客さんがみえるから商売させていただいてるんです」そんな答えがこの店から返ってきそうだ。ボタンで、商売が出来た時代だった。
隣の店に下駄が吊るしてある。中村履物屋さんだろう。
写真右にボタン屋さんの箱が積んである。狭い店内に山のように積まれているのは下駄とつっかけ。そして鼻緒が下げられている。