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Channel: 花の四日市スワマエ商店街
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レモン色のまち 第6回

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昭和三十三年七月二十一日。諏訪百貨店より西側を望む。諏訪駅から出た内部・八王子線は、当時この道をゆっくり南へカーブして伸びていた。この道は新しく出来た駅への近道としても利用された。左に解体を待つ諏訪百貨店。正面には早くもひかりや洋装店が大きな店を構えている。一番街の通りが急速に造られていく。

この年の秋、フラフープが大流行する。このアメリカからやって来たおもちゃは爆発的な広がりをみせるが、腸ねん転を起こす子供も出て、冬の到来と共に下火となっていった。

四月三日からNHKで事件記者が始まっていた。テレビが普及し始める。

 

昭和34年9月1日。ひかりやさんの大売り出し。“特選夏のプリント大売り出し”「有難うございました。いよいよ此の日でおしまい。本日6割引き」のポップが下がる。店頭に出された“はぎれ”のワゴンも大好評だ。

 

昭和三十五年十二月二十日、三十二年に諏訪駅が現在の四日市近鉄駅に移って三年、ようやく諏訪駅前にあったスワマーケットが建て替え工事にかかった。新しい四日市の顔となる四日市スワ百貨店がここに誕生する。

解体工事の様子を辻さん側から北東方向に撮った写真。諏訪百貨店が小さな木造建ての集合体であった様子がよく分かる。正面に紳士服のデパート草野洋服店が望める。右に婦人公論の看板のあるのが白揚。白揚の前の通りは狭い路地だったが、この工事を機会に諏訪南大通りへと広げられる。近代的な街並みが作られていく。

◎ 本日まちゼミで、6名の方に集まっていただいた。

  そこで出た不思議?70メーター道路(中央道路)はなぜ出来たのか?

  戦争末期、飛行機の滑走路として計画されたそうです。

    昭和27年には、農業博覧会の会場となっています。

 


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