昭和30年代の朝はパン食だった。食パンをダイヤパンで買う。1本(4斤?3斤?)買う。店の奥で1斤を6枚にスライスしてもらう。円盤に食パンをあてて切ってもらう。厚切り4枚スライスだと食べごたえはあるがうちのトースターに入らない。トースターは中心に電熱線が入っていて、両側にパカッと開く形式だったが、裏返して2度焼きしなくてはならないので、上から落とし込み、焼けると飛び出す形に改良される。ただし、厚切りだと焦げ付いたまま飛び出してこなかった。(そんな時、トースターに一言「とうすたの?」)
焼けた食パンにバターかマーガリンをヘラで塗る。食べ盛りだと1人1斤は食べる。それと、缶に入った粉ミルク?? 乳児用の粉ミルクかと思われるが、それを湯に溶いて飲む。早朝配達されるビンに入った牛乳は高価で、粉ミルクが多く出回っていたのかもしれない。小学校の頃、副食はなかった。目玉焼きが付くのはずっと後のことだ。
ダイヤパンでは食パンを買う事がほとんどだったが、ある日、奥のケースの上に細いパンが立っているのを見た。それが無性に食べたくなった。こずかいをはたき買い求めたが、パンの柔らかさにはほど遠く“売れ残り”を掴まされた気分だった。(フランスパン デシタ)
ダイヤパンは、通学路にあたる浜田町(旧東海道沿い)にもあったが、利用するのはうちに近いすわとん隣りの店だった。