お祭りは、9月24・25・26日だった。戦前は多くのネリが各町内から競って出され、諏訪神社の大祭を楽しんだが、そのほとんどが戦災で焼失した。新田町には“天の岩戸”のからくり山車があり、おふくろは、昼になっても帰ってこない親父に弁当を届けた。
昭和30年代までは、お祭りらしさが残っていた。家の8畳に赤毛氈が敷かれると、すっかりお祭りらしくなった。昔は商品に幕を張り休業中にしたそうだ。近在から“なし”が届き(ワタリガニもあったそうだが食べた記憶はない)、おふくろは寿司をつくる。それをニキで眺め続けた。巻きずしのへたをご相伴にあずかるためである。作る寿司は3種類。かんぴょう、シイタケ、卵焼きを芯にした巻き寿司、稲荷寿司、こはだの押し寿司。これを大皿にどっと盛る。
プラスティックの押し寿司器は、底に“こはだ”をならべ酢飯を入れてフタで押し付ける。ひっくり返してポンポンと穴から押すと出来上がりだ。
昭和34年9月26日のお祭りの最終日、伊勢湾台風が東海地方を襲った。夕刻、三番街にあった森書店の店頭で立ち読みしながら、音を立てるアーケードを眺めていた。深夜になり風雨は強くなるばかりで、大皿の寿司を飲み込んで恐怖に耐えた。
台風一過の翌朝は、すがすがしい朝となった。近所の“スーパー”で、揚げたちくわの特売があった。値打ちだから買い求めようとしたら、家人全員に反対された。