昭和30年代の朝は忙しい。近所の“魚増”へ卵を買いに行く。仕出し屋の名残か、魚屋で鶏卵も扱っていた。糠(ぬか)の中に埋まっている卵を丁寧に取り出してくれる。弁当のおかずにするためだ。
左に桑名屋の看板(樹林舎刊 四日市市の今昔より)
自転車売りの叔父さんは「しじみー、はまぐりよーェ」の呼び声でシジミ、ハマグリ、むき身を売って回る。鍋を持って表に出る。升に貝を山ほど入れ棒でさっと表面を均す。みそ汁の具だ。シジミのむき身はきざんだショウガと煮る。
「麹みそ、金山寺みそ、からし漬、福神漬」の声は垂坂から来る味噌屋さん。自転車後ろの小引き出しからみそを出してはかり売りする。甘い麹みそを炊き立てのご飯に乗せていただく。高山でよく似た味噌を買ったが、甘くなかった。
当時は、お米に麦を混ぜた。釜の蓋をずらすと平たい筋の入った麦が表面を覆っている。それを“おしゃも”でよけて食べた。麦の入ってないご飯を“銀飯”と呼んでごちそうだった。
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三軒南隣りに八百屋の“桑名屋”があり、店頭に季節に応じた野菜や果物が盛ってあった。それをひと山ふた山買ってくる。おふくろの料理はシンプルでおおざっぱだった。茄子やピーマンは丸ごと焼き醤油をかけて食べる。カボチャやさやいんげん、エンドウ豆は、単品で煮たものを二日ほどかけて食べる。忘れられないのは、中学の頃、ちらし寿司の残りが5日間にわたり出たので文句を言った記憶がある。コメはすっかり固くなっていた。
パリパリの寿司(イメージ)
“桑名屋”では、醤油、砂糖、酢などを量り売りしていた。容器は持参だ。醤油は甕の下のコルク栓を抜いて升に入れる。そのときトクトクトクという音がした。1年歳上の桑名屋のしろちゃんとよく遊んだ。店の二階は未施工で広く、楽しい遊び場だった。テレビで何が面白い?という話題になり、僕たちは“隠密剣士”や“てなもんや三度笠”と答えたが、おませなしろちゃんは“ニュース”と云った。