中入道物語の紙芝居発表会
オレンジ田中さんと本美大さんが製作された 紙芝居発表会の様子が 中日新聞北勢版に掲載していただきました これから物語が始まります グリーンモールの中入道さんと 東海道のひろ助物語が
View Article四日市鉄道唱歌
今日は、川島のHさんの宅へ赴き、『四日市鉄道唱歌』なる貴重な曲を教えていただいたので紹介する。この歌は、戦後しばらくの間、田植え時期等にでも歌われていたということであった。 大正期の四日市鉄道 日露戦争後、帝国日本の鉄道は第一次大戦期の重工業化と国際化によって黄金期を迎えた。明治42年2月...
View Articleジョージ・ソーンダーズ氏の名スピーチ
“人生で大切なたった一つのこと”等で著名な、アメリカの作家 ジョージ・ソーンダーズ。2013年5月11日、アメリカ・シラキュース大学卒業式で、多くの聴衆に共感を呼んだスピーチ。 『私が人生で最も後悔しているのは、優しくなりきれなかったことだ。』...
View Articleオッペンハイマー氏の涙
2016年5月27日、現職大統領として初めて広島を訪れたバラク・オバマ前大統領は、広島市平和記念講演でこう演説した。 71年前、雲ひとつない明るい朝、死が空から降り落ち、世界は変わった。閃光と炎の壁は都市を破壊し、人類が自らを破壊するすべを手に入れたことを実証した。 昨日のニュースを見ていたら、オッペンハイマー氏が アメリカで原爆被爆者とあった時、「ごめんなさい ごめんなさい...
View Articleひろ助と日坂 小夜の中山
「ありゃりゃ!」峠の途中でひろ助は驚きました。まるで坂道を転がり落ちてきたように、大きな石が道の真ん中に座り込んでいます。石には“南無阿弥陀仏”の字が彫られていました。親子連れの旅人もこの石を見てびっくり仰天です。 歌川広重“東海道五十三次 日坂” ここは、静岡は掛川の日坂宿と金谷宿の間にある小夜(さよ)の中山峠。夜でも暗い急な坂道の難所です。...
View Articleひろ助 追分にて悩む
京まで急用を仰せつかったひろ助 朝はゆっくりの出立でしたが 早くも追分まで来ておなかの虫が鳴き出した。さて、饅頭なるものを 腹に入れて行こうか?腹が減っては鈴鹿の山も越えれまいに・・・イヤイヤ今日は坂の下でのお泊りや 本美さんの原画を 無断借用いたしました
View Article膝栗毛における日坂(にっさか)事件
1802年、十返舎一九の書いた“東海道中膝栗毛”は当時はやり出した旅行ブームに乗って大ベストセラーとなりました。ここに日坂のことが掲載されています。ここではとんでもないことが!相変わらずのお二人でした。 袋井...
View Article膝栗毛における日坂事件の顛末
「四日市とんま大使が乱入!/馬の耳に念仏ダンス/PEEP SHOWさん」 (youtube.com) さて、日坂事件の顛末です。 すでに夜も8時過ぎ、午後10時。まわりの拍子木の音枕に響き、台所に明日の支度の味噌をする音も止みければ、只...
View Article膝栗毛における四日市宿事件
第6回 辻さんと巡る昭和30年代の諏訪のまち 戦後、諏訪公園の西に広がっていた赤線地帯。そのあたりを中心に 辻さんと歩いてみましたので、ごらんください。 (5) 風俗から見た戦後の諏訪のまち - YouTube さても、ひろ助さんに、四日市は内部川の橋の上にて、またまた傘を飛ばしていただきました。 弥次さん北さんの東海道中膝栗毛。お二人は四日市宿にもお泊りいただいております。...
View Article桂枝雀さんの「口入屋」
桂枝雀さんの落語に「口入屋」というのがございまして、ここで東海道中膝栗毛の「四日市」における珍事件と似たことが起きております。題して「夜這膳棚事件(よばいぜんだなじけん)」。 番頭さん新しい女中さんを前に 帳面の方は筆の先や・・・・ドガチャガドガチャガ...
View Article膝栗毛における四日市宿事件の顛末
真っ暗闇の中、壁伝いに進む弥次さん。有明行灯(ありあけあんどん)の先の部屋に目を凝らして見ると誰かが寝転んでいるようだ。これが北さんの云う約束の代物(しろもの)かと撫でてみると、コモをかぶっているようで硬くて、しかも冷たい。にわかに気味が悪くなり、あわてて北さんのところまで這い戻った。 弥次「北八、まだそこに辛抱していたか」 北八「オレを置いて何処へ行っていた、弥次さーん」...
View Article東海道中膝栗毛 追分の場
追分まで来た弥次郎兵衛と北八。ここは伊勢参宮道と京都への分かれ道となっていて、茶屋にまんじゅうの名物がある。 追分は、まんじゅう屋の前を子連れ狼が通る「ちゃん!腹減った。まんじゅう食わせ!」「・・・」 茶屋女「お休みなさりまあせ。名物饅頭の温いのをおあがりまあせ。おぞうにもござります」と茶屋の前で娘が呼びかける。 弥次「おっ うまそうなまんじゅうを食べてみよう」...
View Article神奈川宿にひろ助登場!(他 雑記)
進君とこ(ピープショウ)へ乱入いたしました。※ YouTube ええまち四日市 で検索願います うまいこと繋がりませーん7回目のまち歩きでゴザイマス。いよいよ終盤に入ってまいりました! ※ これも YouTube GGしにあ で検索願いまーす 要領が変わってしまいました スミマセーン!さて、よしもと興業のアンダーポイントさんこと本美...
View Article広重の東海道53次より 興津
我々老人は、みな歌川広重と云わずに安藤広重と申します。な~んでか? 二玄社刊 謎解き浮世絵叢書 東海道五十三次より興津(静岡県静岡市清水区) 由井宿を発って興津宿に入る手前には、興津川が流れています。冬は橋渡しですが通常は徒行(かち)渡しでした。 広重の興津...
View Article未来社会は始まっている
友人が携帯を亡くした。どうやら掏(す)られたらしい。 あわてた。家族総出で、えらいことになった。即、携帯の会社に連絡を取り、止めてもらった。 どうやら四日市外にありそうとの返事。返っては来なかったが、一段落して新しい携帯を買い求めた。 「今までのデータはどうなったの?」と聞くと、「大丈夫です、従来通り入れておきました」ということで、不自由なくスムーズに使用できた。...
View Article東海道五十三次より興津 結末編
NHK出版「東海道五十三次」より(図書館の本です) 満五郎の指導は、褒めることで強さを導き出すことだったが、その結果、西ノ湖(にしのうみ)は、相撲の力はついたがうぬぼれの心も付いてしまった。...
View Articleセピア色の写真
先日、前田氏に当家の秘蔵?の写真を見ていただいた。兄が獅子舞の口取りをしていた時の1枚で、獅子頭を真ん中に、三男だった兄は中央左に立っている(参考まで:私は四男)。時は昭和25年頃の四日市祭りの日か。新田町...
View Article軌道用地と鉄道用地
静岡からわざわざお越しいただいた Nさん 古い図面をお持ちだった 一体全体 どこか分からないし 時代が分からない 番地(1480番地)を読むと 我が家(1489番地)から近いし 当店より南の地域のようだ しかも 近い! ということは 真ん中の広い通りは旧東海道である 小さな橋は阿瀬知川(下)へと繋がっている 何処の橋か? もう1枚のこれより西側(左)の地図を見せていただいた 発見!此処には...
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